+++ Indigo Waltz +++
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6.9
an extra of "BODY&SOUL"
6月9日。
ちょうど30年前、東日本連合会・伊達組組長宅にご長男がお生まれになったこの日。
組事務所の朝は祝辞の野太い唱和で始まり、関係各所から届けられる祝いの品の多さに慌しさも極まる。
夕食は家人が揃い、宴というにはいささか厳かな祝いの膳を囲む慣わし。
この世に生まれ出でた記念日に抗争の心配も無粋だと、例年この日だけはしきたりの様に外出しない、当の主役の若頭はしかし、一日ずっと静かに祝いを受けながら、ずっと密かに不機嫌だった。
もっと言えば、その不機嫌は当日に限ったことではなく。一週間以上前から積もり積もった鬱屈が絶好調・・・否、最高潮に達していることを、もしかすると家人もみんな、分かっているのかも知れない。
「とんちゃん居ないと何だか静かねー」
つまらなーい、とまでは言わないまでも、明らかにそう言いたげに唇を尖らせて姉の弥生に諌められていた妹はどうだか疑わしいが、祖父には完全にバレていると、征士は思った。
「面構えだけは一人前のようになっては来たが・・・・」
日本酒を旨そうにやりながらのお言葉。
まだまだ・・・と皆までは言わず、口を歪めるようにして意味深に笑われた顔を思い出して、更に不機嫌を増してしまう若頭だった。
さて、その不機嫌の原因は。
世の女性の如く、また一つ増える年齢を気にしてのものでもなければ、梅雨空と湿気のせいでもない。
征士は眉間に縦皺を刻んだまま、自分で分析を試みた。
理由其の一。
ありていに言えば、仕事のストレス。
力を持つが故の苦労と言えるかも知れない。
影響力を維持し、拡大していくための判断と努力。
組を率いる者として、生きる場所は善悪の彼岸。
きっとこの数年後には加速度的に勢力も拡大し、そのための努力も格段に楽になっているだろう。そう、快楽を感じる程に。
だがそれは、まだ先の話だった。
まだ。まだ。
力を持つ側が消耗していては、まだダメなのだと、謙虚に自戒する。
しかし、そんな中で一段落ついた成果は、自分としてもほぼ満足のいく物ではあった。
一昨日、はっきりと数字に表れたその結果の報告を受けた組長(父親)も、満更ではなかったのだろう。
言葉としては「そうか」としか言わなかったが、早速次の課題をいくつか提示された。
そして渡された膨大な資料。
その心は。
父の会社への参画。
勉強しておけ、読んでおけ、目を通しておけ、と渡された資料や書籍のハンパでない量には瞠目するしかないが。さりとて、総じて順調。
それでは何ゆえ斯様に不機嫌なのか。
理由の其のニ。
従弟の不在。
ここのところ、消耗して一日の最後に戻る部屋に、彼がいない。
それが、最大の理由。
誕生日当日の不在は随分前から聞かされていた。ちょうど、福岡で学会だ、と。
しかしその一週間以上前から全く家へ戻って来ないとは、一度も聞いていなかった。
まぁ、あの当麻のことだ。簡単に察することは出来るが。
大学の講義(学生の相手)と学会の準備。プラス、忙しい時に限って何故かいつも湧いて出る解剖(当麻談)に追われているのだろう。
それでも。
四歳の砌から高校を出るまでずっと一緒に、それこそ24時間365日一緒だったのだ。尚更捨て置かれた気分にもなろうというものだ。
そこまで分かってはいても。
鬱積していくものが解消されないのは変わりがない。
仕事柄全てを話せる訳ではなくとも、いつも察し良く、彼にしか出来ない方法でささくれた神経を宥めてくれる、その人が。
いないことにはどうにもならない。
ただ一人の従弟であり、ただ一人の大切な人。
代わりは、無いのだ。
今朝、というより、日付が変わった直後、1枚のFAXを受け取った。
宛名は『美人の征士さんへ』。
差出人は『メンクイ当麻より』。
ふざけた言い草だが、こう書かれると、不思議に腹もたたない。
して、文面は・・・
『Happy Birthday! プレゼントは酒。旨いんだぜ。寝室のくまに預けてあります。明日帰るよん。』とあり。
寝室の棚に座っている、ふかふかのクマ。
当麻が4つの時に祖父から貰い、そしてこの家の門を潜った時にしっかりと腕に抱いて来ていた、その柔らかいクリーム色をしたヌイグルミの背に隠すように、プレゼントだという日本酒は綺麗にラッピングされて置かれていた。
寝に帰っているだけとはいえ、毎日使っている部屋なのに、気付かないものである。
いつから仕込んであったのか。
しかもFAXの発信元は、当麻の勤務先。大学の研究室である。
差出人本人は居ないはずの、いやたぶん、時間的に考えて無人の研究室から自動発信されてきたFAX。
『Happy Birthday!』の文字に、幼い頃を思い出す。
たしか、5歳の誕生日だった。
同い年ではあっても、どうしても体格的に自分より先に成長し、あまつさえ4ヶ月先に誕生日を迎える征士に我慢ならなかったのだろう。
「なんで征士(せーじ)ばっかりィ!!」と子供らしい癇癪をおこした従弟の愛らしくも悔しげな顔を思い出して、ちょっと笑ってしまう。
先に年をとる分、当麻の“お願い”は何でも自分が聴いてやるから、と慰めて、ようやく「じゃぁ、いいよ」と許しを得たのだった。
それ以降は、従弟も何とか平和に祝ってくれている。
言わば紙切れ1枚。しかしその上の、良く言えば奔放な、見慣れた筆跡の文字たちに見事に気持ちが鎮められた。
と同時に、無性に会いたくて堪らなくなった。
やはり、仕事の疲れなど問題ではないのだ。
当麻さえいてくれれば。
それで。
早く明日になってしまえばいい。
どこかになかっただろうか。
要らない時間を貯金するように溜めておけるスグレモノ。
今日一日の時間を貯金して、直ぐに明日になる。
『助けてドラえも〜んっ!』と、よく当麻がふざけて口にする台詞を脳裏に浮かべて、征士はがっくり項垂れた。
やはり、疲れているのも間違いない・・・・と。
さて。
そんな訳で。
普段は観葉植物が数鉢あるだけの組事務所の中は本日、各方面から頂いた様々な花で溢れ返って異様な空間が演出された上に。
それだけには因らない居心地の悪〜い緊張感を孕んでおりました。
元凶は、ひとしお派手な花々に囲まれて尚、決して引けを取らない美貌の、我らが若頭。
今まさに、小難しげな書類の束から顔を上げて、考え込んでいるのか、怒りを押さえ込んでいるのか、何も無い一点を睨みつけている。ようにしか見えない。
凄絶な美貌ではあるがそれだけに、黙して不機嫌なオーラを発散させた日には壮絶な緊張感を生むのである。
そして本日が、間違いなくその日、なのだった。
舎弟達もこんな居たたまれない事態を望んだりは決してしない。
当然、ここまで最悪の空気が満ちるまで手を拱いて見ていた訳では断じてないのだが。
彼らの涙ぐましい努力はことごとく水泡に帰した。
例えば・・・
CASE 1
「ジョー、・・・帰って来てくださいよ〜・・・」
『あー・・・後でフロと着替えに帰る』
「そうじゃなくて・・・。若、ご機嫌悪いんスよ」
『お前らが甘やかすからだろーが』
「はぁ!?甘やかす?」
『おぅよ。仏頂面してても許されると思ってっから不機嫌丸出しにすんだ。甘えてんだよ、あいつは。俺だったら許さねーな、あんなブッチョ面。ま、がんばれ!』
プツッ。ツー、ツー、ツー・・・・・
「嬢・・・、そんな問題じゃ・・・・・」
CASE 2
「ジョー、今日こそ・・・!」
『あ、悪ィ。まだスライド出来てねぇんだ。しかもさ、こんな朝から解剖の予定が3件も入ってるんだぜ?今日はムリ。んじゃな!』
ブチッ。ツー、ツー、ツー・・・・・
CASE 3
『おかけになった電話は、現在、電源が入っていないか、電波が届かない・・・・・』
「────嬢ぉーーっっ!!」
という具合に。
報われない男たちは相変わらず延々と救われない。
救ってくれない誰かのおかげで高度にIT化された事務所で、よそよそしい花々と、いやぁな空気に囲まれて。
現在、午後9時。
1時間程前から、映画のBGMよろしく地鳴りのような雷と、フラッシュをたいたようにランダムに夜空を照らす稲光が、まさしくこの場に相応しい雰囲気を演出していた。
各々が胸の内で、己が親しんだ2次元ヒーローへ必死に救いを求めたちょうどその時。
事務所の最奥。
件の若頭の机上で、突然低い音を立てて携帯電話が振動し始める。
おどろおどろしい雷鳴の合間を縫ってはっきりと聞き取れたその振動音に、誰もがピクリと反応した。
若頭本人は即座に震える電話へ手を伸ばし、残りはみんな共通の期待に満ちた目を見交わす。
この日、この時間に若頭の携帯を鳴らすのは誰なのか。
電話に受け答える若頭の様子を緊張して窺った。
吉と出るか、凶と出るか。
○か、×か。
「あぁ、終わったのか」
尋ねていながら語尾を上げない、独特の口調。
しかし伏目がちの硬質な美貌は、明らかに和んでいる。
答えは、○。
っほーーーっっ、と。座っていた者は緊張に強張っていた背を椅子の背に懐かせ、立っていた者は脱力してチンピラ座りをしてしまった。
暫しの和やかムードの中、最初に“そのこと”に気付いたのは、モニターを見ていた亨一人だった。
彼だけが、その身を弛緩させず。
それどころか、尚更身を乗り出して、熱心にモニターを凝視する。
組事務所への出入りを監視するカメラのモニター。
そこに。
携帯電話を片手に持った、やけにスレンダーな人影が映っている。
その人物は電話で会話を続けながら、空いた手の人差し指を立てて、口角を吊り上げた口元にあてがって見せる。
勝気な蒼瞳がまっすぐモニター越し、自分へ向けられるに至って、亨はやっと仕掛けを悟り。
無駄と知りつつ、一方通行のモニターの向こうへ、親指を立てて返した。
『お前はまた、貰い物で生きてけるほど貰いまくってんだろーから酒にしたの、俺。もう飲んでみた?』
「いや。お前が帰ってから一緒に飲もうと思ってな。置いてある」
『そっか・・・』
「じゃ、これから飲む?」
いきなりステレオサラウンド放送で聞こえてきた声に、何事かと目を上げて、征士は驚いて立ち上がった。
舎弟たちも既に、全員入り口を向いて立っている。
彼らの場合は、純粋に驚いての行動というよりも、座っていては失礼にあたる、というのでもなく。『よくぞ帰って来てくださった!!』という気持ちからだったが。
「よっ!」
室内の耳目を一手に集めるのは、法医学会というよりホスト学会帰り?という、スタイリッシュなスーツ姿。
その姿はなぜか、一同の目に神々しくも頼もしく映った。
「ビックリしたろ?へへ。打ち上げブッちぎって帰ってきた」
どうだ!っと得意そうに胸を張った姿は、すぐに大股で歩み寄った広い背中に隠される。
「なんだよ・・・征士、苦しいって・・・・」
「・・・・・」
「・・・そんなに淋しかったのか?」
からかい半分で訊いたのに。
「あぁ・・・泣きそうだったな」
まず冗談だろうが、確かに多少本心も混じっているのだろう、恨めしげな言葉が返って、当麻はくすくすと笑う。
「女のコでも呼べばよかったのに」
「バカ言え」
と、ここまでは微笑ましく見守った舎弟たちも、当麻の笑い声が途切れると同時に、それぞれ意味も無く天井の模様を眺めたり足元の絨毯に目をやったり。
そろそろ首もだるくなり、手持ち無沙汰も極まった頃にようやく、若頭の肩越し、はぁ・・・と悩ましげなため息が上がった。
誕生日の出血大サービスか、抗議はぷに、と肉付きの薄い頬を苦労しながら摘むだけで終わらせて、当麻は従兄の胸を押し戻す。
「さて」
潤んだ目はどうしようもなく、そのまま仕切り直し。
「飲むだろ?みんな。ビール、瓶で3ケース買って来た。あと、ツマミも。下に哲いるから、2・3人行って一緒に車から荷物運んでくれ」
「うっす」
「春臣、凝ったことしなくていいから。ツマミ並べてくれるか」
「はい!」
号令一下、急に活気づく室内。それぞれが生き生きと動き始める。
「そーいえば、なんでブラインド下ろしてんの?せっかく雷、光ってんのに。上げろ上げろ」
やっぱ雷はビール片手に見ねぇと。
「あ、俺先に着替えてくる。征士、酒は?」
「あぁ、離れだ。私も行こう」
「ん。あれさ、風味がすげぇ変わってて、旨いんだぜ」
若頭に背中を押されて歩き出しながら、蒼い髪の軍曹は蠱惑的な視線と共に振り返って、残りの兵たちにも平等に仕事を与えた。
「お前ら、そこ片してセッティングしとけよ。グラスと箸は人数分な」
「うっす!」
雷の鑑賞用に照明はあらかた落とし、「でも暗いと食いモノがマズそーに見えるな」という当麻の言によって、ローテーブルの上だけはなんとか明かりが集められ。
賑やかな卓を変則的な車座で囲んでの酒宴となった。
頻繁に明滅する夜空に時折はっきりと白く稲光が走って相変わらず異様な空間を演出してはいるが、酒席は「おぉっ」「すげぇ!」と歓声を上げるばかりで暗さの欠片もない。
「ジョー、こんな天気で良く飛行機飛びましたね」
当麻のことを“ジョー”と呼ぶ、男たちの頭の中では律儀に一々“嬢”と、漢字に変換されている。
未だに辞めずに通っているボクシングに掛けての呼び名だと、思っているのは呼ばれている本人ばかり。
その誤解を知っていながら誰も、征士でさえ、決して正そうとはしない。
暗黙の了解。
本人の前では必ずカタカナ発音で呼ぶ、という慣例が、もう随分続いているのだった。
「福岡出るときは何でもなかったもん」
上座の二人掛けソファー。
飽食したライオンのようにゆったりと沈んだ若頭の隣で、華奢な痩身にジーパン・Tシャツという、ラフな格好の所為ばかりでもないだろうが学生にしか見えない当麻が、なぜか得意そうに答える。
「それがこっちに着く頃にはコレでさ。流石に揺れるし。降りる空港替えられたらどうしようかと思った」
「俺も気が気じゃなかったっすよ。誰にも相談できねぇし」
学会後の懇親会でありつける筈だった分を取り戻すかのように旺盛な食欲を見せる当麻に、ちょっと恨めしそうな哲。
自分だけが今日の計画に加担させられたために、当麻の留守中、何も知らない仲間たちのどんどん緊張感が増していく空気の中に身の置き所がなかったのだ。
「うん。空港まで迎えに来させたからな」
分かってる。悪かったって。
口調は大して悪びれていないが、一応自覚はあるのだろう、「まぁ飲め」と、当麻は自分付きの舎弟のグラスにビールを注ぎ足してやった。
「もしかして、爺サマは知ってたのか?」
今日のうちに帰って来ること? と征士を振り返った当麻の目は雷の光を反射して、蠱惑的な魅力を放つ。
「ん、出来れば今日戻るつもりっては言っといたけど?」
アルコールを飲みだすと殆どツマミには手を出さない若頭が、いつものようにソファーの背に凭れたまま、ビールグラスを傾けてちょっと渋面を作った。
「なに?なんか、からかわれた?」
というお見通しな問いには、ふん、という面白く無さそうな答え(?)が返る。
当麻はくすっと笑いながら、機嫌取りでもないだろうが、「結構イケルよ」と従兄の口元へスモークタンを一切れ運んだ。
しばらく咀嚼する表情を窺って、「な?」と首を傾げて同意を求められると、征士の渋面など保たれるわけがない。
舎弟たちから親しまれながらも畏怖を集める若頭は、微妙に口角を上げて妙に素直に頷くのだった。
こんな風に、二人が目を見交わすと、その間は完全に二人の世界が展開される。
だがそれは今に始まったことではなく、周囲も慣らされきっている、ただの平凡な日常に相違ないのだった。
二人の世界は、唐突に始まって唐突に終わる。
「ところで、話違うけどさ。俺、毎年思うんだけど。これホント凄いよな。高そうなのばっかじゃん」
と当麻。
所狭しと室内に並んだ花々に、感心と呆れの声を上げて二人の世界を終わらせる。
「これでも、女性陣のお気に召した物はかなり母屋に引き取って貰ったんですが」
「マジ?それでもこの状態なわけ?」
稲光に照らされてボウッと浮き上がって見える豪華な花々の異相も、このメンツではこうして笑い話のネタに成り下がる。
「しっかしフツー男の誕生日にこんなに花って集まるもんかねぇ?」
言った瞬間、隣で征士がまた渋面を作るが、“嬢”のいる場で“嬢”がふった話題である。誰もが気付きながら、全く怖がりもしない。
「いや・・・フツー一般の男は、誕生日に花なんか貰わないっす」
「だよなー!!」
ケラケラ笑い出した肩甲骨が浮いた背に、征士は手首のスナップを効かせてピスタチオの殻を一つ投げつけた。
が、完全に無視される。
仕方が無いのでソファーの上に転がった殻を自ら拾って、左隣の舎弟の手に処分を委ねた。
「あの一番派手な花、奥に置いたの誰よ?」
「あ、俺っす!」
「やるなぁ、お前」
「ありがとうございます!!」
部屋の最奥、征士のデスクの後ろに配された花瓶でひとしきり盛り上がっている。
「さっきから、何が言いたい」
どうも核心をさけて騒ぐ周りに、だが自分が話題の中心だということだけは分かって、征士は低く唸るような声を上げた。
やっと振り向いた当麻は、酷く子供っぽい、愉しげな表情。
「だって、あの派手派手な花背中に背負っても、お前全っ然負けてないんだもん」
な?と、今度は舎弟たちを振り返って同意を得る。
「めったにいねぇぞ。こんな男」
まだ訝しげな渋面を崩さない従兄に、焦れるでもなく機嫌よく言葉を重ねた。
「イイ男だって言ってんの、皆」
と言われても、どういう顔をしていいか分かっていない征士にへちゃっと引っ付くように、当麻は自分もソファーに凭れて沈み込む。
すかさずその腰に若頭の手が回されるのを、舎弟たちはどこか満足げに見守った。
「・・・・なんかまた、難しい橋渡ったの?」
最近の眉間の縦皺の理由を唐突にあっさり言い当てられて、「なぜ分かる?」と問えば、「顔に書いてあるもん」とケロリと言われ、征士は思わず左手で自分の顔を撫でた。
それがまた、当麻の笑いを誘う。
「でも、上手くいったんだろ?」
当然、という感じで簡単に言ってくれる従弟に、征士はちょっと口角を下げて不満を表してみせる。不在に対する不満を。
「・・・なんだよ・・・」
正確に、征士の言わんとする不満を理解しているだろう、当麻は至近距離で、囁くように、面白がるように言葉を継いだ。
「でも、大変な時って、俺のことなんて考えてないくせに」
なぜか尚更、征士の渋面を煽っている。
「・・・それは、確かに・・・いつもいつも考えている訳ではないが・・・」
「いーんだよ。別に責めてんじゃないんだから」
まだ言い足りない征士の言葉を遮って、当麻はやはり機嫌よく続けた。
「余裕が出来た時に、こう出来ればいーじゃん。俺、お前が大変な時には全然役に立ってやれないんだから」
そんな事は無い、と言いかけた征士の頭に、当麻は手を差し入れて、分かっていると言いたげに優しく掻き混ぜた。
「“イイ顔”になってるよ。俺の好きな顔だ。きっとこの先も、もっとイイ顔になってく」
こういう時だけは言葉を惜しまない当麻に、征士は勝てたためしがない。
しかし負けても悔しくないのはこの従弟に対してだけである。
そして、こんな気分になるのなら、一時苦しかろうが言い負かされようが、大した問題ではないという気になるのだった。
「・・・当麻・・・・」
呼んで、耳元で希望を告げる。
「・・・・いーけど」
思ったとおり、今日はあっさり許可が下りた。
「その前に、お前に言って置きたい事がある」
無理に真面目な顔を作って、どこかの歌の歌詞のようなことを言う。
「なんだ」
「俺、明日ガッコある」
後ろで聞かないフリをしながらしっかり聞いていた外野たちは、噴き出しかけて焦っている様子。
「何故」
訊いても仕方ないことを、ついつい訊いてしまった征士に、「うーん・・・平日だから?」と、当麻は律儀に答えた。
外野は完全に笑い出している。
「・・・まずは、分かった」と呟きながら、征士は早くもソファーから身を起こし。
立ち上がると同時に従弟の腕を引いて、その軽い体も引っ張り上げた。
「哲、明日いつもの時間に頼むなー」
起床に自信のない当麻の言と、その当麻に付き合い慣れた舎弟の気安い遣り取りを、「いや」と脇から訂正するのは、機嫌も上々、不敵な表情の若頭。
「明日は私が起こしてやる」
きょとん、と見上げられて、その表情には更に凄みのある笑みが刻まれた。
「今日の礼だ。大学まで送ってやろう」
「・・・・礼・・・?この後の詫びじゃねぇだろうな・・・?」
派手に柳眉を顰めて見せる当麻に返った答えは、珍しく屈託無く上がった従兄の笑い声だった。
「沢木。日本酒だけは除けておいてくれ」
「了解です」
「後はみんなで頑張って消費しろよ〜」
「任せといてください」
「ジョー、ご馳走様でした!」
「んー。おやすみ〜」
「おやすみなさいっ」
従弟を促して歩き出した若頭と、肩越しにひらひらと手を振って戸口に向かう嬢を、一斉に立ち上がって頭を下げた舎弟たちはいつになく暖かな、優しい気持ちで見送った。
「俺、先にフロ入るー」
部屋を出ながらの嬢の言に、若頭が何と答えたのか、それは舎弟たちの耳には聞こえなかったので分からない。
だが閉まった扉の向こう。遠ざかる気配と共に「何調子ん乗ってんだよ」という笑い声の混じった当麻の声が届いて、(あぁ、フロは一緒に入るんだな)と出歯亀のようなことを考える。
なにはともあれ、若頭が機嫌よくこの日を終えられて、本当に良かった。
まだだいぶん残っているビール。
早々に引き上げた主役。
この成り行きは、きっと嬢の計算の内だろう。
皆、認識は一致していた。
多すぎるビールは、自分たちの為のものなのだ。
完全に無礼講となった酒宴。
厳つい男たちは、やけに柔らかな気持ちになって、離れに引き上げた二人に乾杯した。
Fin
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