+++ Indigo Waltz +++
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BODY & SOUL 9

その電話がかかってきたのは、部屋中にコーヒーの香りが満ちていくらも経たない頃だった。
「・・・あ・・・・っお疲れ様です!」
少し緊張ぎみの応対を聞いて、電話の主は若頭だろうかと安易に思った一同だったのだが。
「・・・嬢、ですか・・・?」
という、戸惑いと躊躇いの混ざったような受け答えに、誰からだ?と互いに顔を見合わせた。
「はい。いらっしゃいます。・・・お待ちください」
若頭からの電話で当麻が呼ばれたからといって訝る組員などいない。
誰だ? 誰が嬢に電話なんかかけてきたんだ。
ほとんど非難する勢いで耳をすます一同。
「ジョー、・・・組長からです」
「!! ・・・・・・」
あまり積極的とは言い難い表情と口調で、手に持ったままの通話保留状態の受話器を示しながらの言葉と、押し黙る男たち。
その心は。
(組長に文句は言えねぇけど・・・)
(うわー、嫌な予感っっ)であった。
「親父さん?・・・何だろ?」
こちらは予感も何も無く、ひたすらきょとんと首を傾げている当麻。
タイミングよく横から差し出されたコードレスの子機を受け取り、躊躇い無く通話ボタンを押す。
「はい、当麻です」
組長から、と渡された電話にこれだけ気負い無く出られるのも、今この部屋では彼だけだ。
「今?事務所でコーヒー貰ってた」
全く普通の、気安い伯父と甥である。
「ん、平気。宿題は終わってるし。」
いったい何の話なんだ・・・。ウソでもいいからそこは忙しいと言っておいてくれ。と外野たちはそれぞれ心中に思う。
話の流れは見えないながらも、電話口で伯父の言を黙って聞いているらしい当麻の様子に不安が募る。
「・・・今から?」
笑いながらの当麻の言葉に、あぁ・・・やっぱりと項垂れた。
「すぐ出ればいいの?」
・・・・外出、決定。
「はーい。じゃぁ待ってる」
幼い子供が大人に甘えるような、良い子のお返事。
実際の親子より余程気安いこの二人の会話としてはままあることだが、やはり電話の向こうに居るのが畏怖を集める組長だとはなかなか想像できない舎弟たちであった。

「富士見町へ遊びに来いって言うから、行ってくるわ」
役目を終えた子機を舎弟の手に委ねながら、言わずもがなの事を言う。
富士見町にあるのは、組長が代表取締役を務める社の本社屋。
(遊びに来いって・・・・・。テーマパークでもあるまいに・・・・)
確かに当麻にとっては遊びの範疇なのかも知れないが。
建設・不動産・ビル管理警備等、幅広く手がける歴とした企業である。
気に入りの甥をたびたび自社ビルへ呼ぶ組長───もとい、社長は、自分の仕事を手伝わせたくて仕方ないらしい。畑違いにも関わらず卒なくセンス良く目覚しい結果を弾き出す甥っ子を楽しげに見守りながら、その実社内のお堅い役員連中に見せびらかすという愉しみも密かに追求しているのだった。
確かに、組長の愉しみも分かる。
分かるが、しかし。
舎弟達にとっては、遠い組長の愉しみよりも、身近な若頭の満足が優先されるのだ。当然ながら。
なので、
「あと1・2時間もすれば、若、戻られますよ・・・?」
今更言っても仕方ないと、分かっていながら駄々を捏ねる子供のように口をついて出る言葉を押し止められない。
そして肝心の嬢はというと、
「あー・・・・、そう?」
と気のないお返事。
おもむろに頭のカチューシャを抜くと、クセがついてしまった髪に手櫛を入れる。その仕種までが気のない感じである。
「しかも若、明日から1週間、広島なんですが・・・?」
三つ指ついて見送ってくれとは言わないが(・・・そんな恐怖映像は誰も見たくない・・・・・) 出発の前日くらい、帰宅を待ってあげてくれても・・・と、恨めしげな口調になってしまう男達だったが。
「んー、広島ね・・・。そういえば、聞いてたような・・・・・(聞いてないような・・・)」
蒼い前髪を梳き下ろしながら寄り目になっている当麻の表情は、『だって、待ってろって言われてねーもん・・・』と言わんばかり。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」
流石にこれ以上は言葉を継げず、さりとてどうしてもモノ言いたげになる顔、顔顔。
それらをチラチラッと目だけで見渡して。
お嬢はアッサリと言い放った。
「着替えてくるわ。」
Gパンじゃぁ流石にナンだよな、などと言いながら身軽に立ち上がり、さっさと歩き出しながら、最後に一言。
「迎えの車回してくれるって言ってたから、来たら離れに着けさせて」
・・・・・まるで、後ろ足で砂をかけて行くネコのよう。
嬢付きの舎弟が一人、何とも言えず複雑な表情で、薄い背中の後を追った。



自室に戻った当麻がGパンから履き替えたのは、ピタピタの革パンツ。
GパンはNGで革パンならOKという、その判断基準がイマイチ分からないと、脱ぎ捨てられたGパンを拾い上げて畳みながら、哲は無駄に頭を悩ませた。
そんな哲の目の前で、我関せずの嬢は素晴らしく男らしい脱ぎっぷりを披露している。
Gパンに続いてシャツを受け取りながら、哲は一旦“Gパン・革パンの謎”を棚上げにした。
「ケンカ・・・してる訳じゃ、ないっすよね・・・?」
恐る恐る言ってみた、という感の哲を、当麻はシルバーサテンのシャツに腕を通しながらキョトンと上目遣いに見上げる。
「誰が?」
「ジョーが」
ビックリ・・・と見開かれた蒼瞳が、なんとも言えず可愛らしかったり・・・してしまう。
「・・・・誰と?」
「若と」
シャツの前を留めるのも忘れて固まっている当麻の頭上には、大きなクエスチョンマークがぷかぷか浮かんでいそうだった。
「・・・・してねェよ?」
あんまり驚いたからだろう。当麻の口調には迫力の欠片もなく、逆に子供のような可愛らしさがあったりする。
パチパチと瞬きを繰り返す目は睫が長いので、本当に音がしそうだ。
「そう・・・っすよね・・・・・」
やっぱりね・・・と一人ごちた哲は、なんで? と首を傾げられて、
「ぃや、万が一の可能性として・・・・」
と答えにならない返事を返した。
「???」
なんでケンカ? と尚も納得いかない様子で整った顔を盛大に顰めた当麻だったが。
「あー・・・、もしかして。征士が帰ってくんの待たずに親父さんの誘いん乗ったから、とか?」
やっと答えらしきものを見つけて、ちょっと嬉しそう。
それにしても、鈍さは一級品である。
「あぁ、まぁ・・・・」
そのものズバリではないが、それも含まれると頷いて見せた哲に、当麻は得意げな笑顔で流し目をくれてから、シャツのボタンを嵌める作業を再開した。
「別にさ」
ふふん、と唇の端で笑って、お嬢は口を開く。
「俺は、親父さんに花持たせる為に富士見町行くわけじゃねーんだぜ?」
「・・・・とゆーと?」
シャツを着終わって鏡の前へ移動する当麻を追って、哲もモソモソ移動する。
「会社、今は親父さんの代だけど、いつまでもこのままじゃねぇだろ?」
鏡の中から、蒼い目がピカーリ。
薄い唇の端がニヤリと上がっったのを凝視して、哲はゾクゾクしながら続きを待った。のだが。
「今、親父さんから教わっとけばさぁ、征士の代んなった時に、ナンかちょっとは役に立ってやれるかも知んないじゃん」
続いて当麻の口から出たのは、意外なほど優しい言葉だった。
(あぁ、そーゆーことか・・・。なんか俺、もっとコワイこと想像しちゃったよ・・・)
ふぅっ・・・と胸を撫で下ろしながら、哲は別の意味でも安心した。
(良かった・・・。嬢、スカシタ顔してちゃんと若のこと考えてくれてたんだ・・・)
「しかもよ?俺が今何かしくじっても、ケツ拭いてくれんのは親父さんなんだよねー」
あっけらかんと、お下品な嬢。
「征士には迷惑かけずにお勉強させてもらえんだから、そりゃ今のうちにしっかり学ばせて頂くさ」
ポンポーンと言うだけ言って、弄りたいだけ頭も弄ったのか、満足げに下ろした両手を腰にあてて。
当麻は鏡の中から「うん?」と舎弟を見やった。
お分かり?
目で問われて、哲は黙って頭を下げた。
了解っす。何も言うことはありません、と。


さて、それから約2時間後。
ご帰館された若頭は、告げられる前に従弟の不在を悟った。
その理由は───事務所の空気の重さ。
例えば何か理不尽な事が起こった場合も、隣で先に熱くなられると、当事者が腹を立て損なって逆に宥める側へ回ることがあるが。
当麻の不在でここまで見事に舎弟達に落ち込まれると、一番気落ちして良い筈の自分に余裕が生まれるのが面白い。と笑ってしまいそうでありながら、表情筋はピクリとも動かさず。
征士はいつものようにゆったりと奥の机へ歩み寄って、見慣れた黒い革張りの椅子の前、いつもと違って足を止めた。
その見るからに重そうな椅子は、間違いなく征士のものである。
征士が事務所を留守にしている間も、あの“オレ様”当麻でさえ、どういうけじめなのか座ったことがない。
その椅子に。
今、クマが座っている。
ちょこなん、と。
普段征士が座っている姿を模したのだろう、太短い足を無理やり組んだクマは、ぬいぐるみだけに自ら離れの寝室を出てくることもない。
こんな悪戯をするのは一体誰なのか───。
息をつめて成り行きを見守っている舎弟達を背に、フッと征士はため息のように密やかに笑った。
どうやら、従弟殿は、すれ違ってばかりの自分を少しは気遣ってくれているらしい。
それは分かるが、この“くま”は一体、どういう気遣いの表れなのか。
額に手をやって、込み上げて来る可笑しさを堪える。
「・・・それで? 当麻はどこへ行ったんだ?」
相変わらず語尾を上げない、独特の疑問文。
征士はふかふかの頭を掴み上げて、クマから自分の椅子を奪還した。
「は・・・、組長から電話がありまして・・・」
「───富士見町か」
「はい」
頬の筋肉を微妙に緩めた若頭の表情に、張り詰めていた事務所の空気がやっと緩み、それに背を押されるように伝えにくい事を伝えて、舎弟達もやっと緊張を解いた。
「・・・母の次は父に・・・・持っていかれた訳か・・・・・」
独り言のような言葉の合間で咥えた煙草に火を点けさせて、煙と一緒に溜息を吐く。
「嬢は、多方面にモテますからね・・・」
慰めにもならないような側近の言に、全くだと頷く。
(次は祖父あたりに持っていかれないよう祈るばかりだな・・・)
椅子に深く沈んだ征士は、組んだ膝の上にくったりとぬいぐるみを乗せたまま、悠然と灰皿の上で煙草を弾いた。
「確かに、モテるのは分かるんスけどねぇ・・・、富士見町、わざわざ車寄越したんですよ? 車くらい、こっちにだってあるのに・・・」
別に誘拐された訳ではないが、どうしても連れ去られた気がしてしまうのか、舎弟の口調は不満タラタラだ。
「そりゃまぁ、黒キャデは無いですけど・・・」
途端に勢いを失った口振りに、若頭は目を伏せて微かに笑った。
黒いキャデラックは、組長───もとい、社長の専用車として稼動している車である。
「社長から依頼して来て貰ったという形を関係者に見せる上では、効果的だと思うがな」
黙ったままの若頭の代わりに、若頭補佐が口を開く。
「どこの世界にも、外部の人間が入ってくるのを毛嫌いする人種はいるからな。そういう連中からウチの嬢が面白くない扱いを受けないように、組長も気を遣ってくれたんだろう」
そう言われると、「な〜るほど・・・・」と素直に納得する一同。
「しかもアレは見てくれがあぁだからな・・・。堅い勤め人には侮られやすいかも知れん」
若頭は、横から差し出された書類に目を落としながらオモシロそうに言う。
「まぁ・・・黙ってイジメられているタマでもないが」
ぱらりと長い指が紙を捲って、目は書類の文字を追ったまま。
「煩わしい思いをさせずに済むなら、それに越した事はない」
パサッと机上に書類を置いて、上がった視線が意外に優しく舎弟達を撫でる。
「「「はいっっ」」」
なぜか姿勢を正して、敬礼せんばかりの勢いで返事をする男達。
結局は嬢大事な彼らなので、単純なことに組長をも見直し。
なによりも温度の高い眼差しが自分の横へ集まるのに、補佐役の沢木は満足げに口の端を上げた。

「しかし、前回嬢が任されたプロジェクトの成果を考えると、もう・・・誰もナメた対応は出来ないでしょう」
「このご時世に、ビルを一つ転がして純利が4億だからな」
思い返して苦笑する沢木と、満足げな笑みを浮かべる若頭。
それに、唖然とする舎弟達。
(よ・・・、よんおく・・・!?)
(・・・・嬢・・・・・。お流石・・・)
「父でなくとも、車くらい買ってやりたくなるだろう」
社員でもなく、趣味の延長で伯父を手伝っているだけの当麻に給料は出ない。その分、小遣いを出す感覚で社長のポケットから色々出てくるのだが、今回はそれが車だったらしい。
「あ、車種決めるってんで、俺、嬢のショールーム巡り、ついてったんですよね」
逸早く4億のショックから立ち直ったのは、哲だった。
『やっぱ6速ミッション車!スタートダッシュはトヨタかな・・・? 通常走行は日産の方が・・・・』と、試乗しては珍しく真剣に考え込んでいた当麻が思い起こされる。
「アルテッツァと(ニューフェアレディー)Z試乗したんですけど・・・、結局どっちにしたんだろ・・・?」
後半は呟きのようになった舎弟の言に、若頭は「ああ・・・」と小さく頷いた。
どうやら顛末をご存知のよう。
新たな煙草を抜き出しながら眉間に皺を寄せ、しかし口元には笑みがある。
「アレはZを希望したそうだが、父から却下されてな。『予算が合わん』と・・・・」
「・・・それで、ランボルギーニですか・・・」
「あぁ」
苦笑しているのは若頭と補佐役のみ。
残る一同は、4億に続くショックにまたしてもフリーズしていた。
(待って・・・。予算が合わないって・・・、そーゆー使い方する言葉じゃねぇと思う・・・)
(組長・・・太っ腹・・・・過ぎ・・・)
「納車は来月下旬、でしたか?」
沢木の確認に、若頭は目顔で頷く。
「あ・・・のー・・・・、ランボルギーニって・・・?」
納車時期が決まっているなら車種も決まっているだろうと、躊躇いがちに窺う舎弟には沢木が答えた。
「白いディアブロだそうだ」
「「「・・・・・・・・・・」」」
もうそれ以上、口を利く気力が湧いてこないらしい男たちの顔は、個性豊かな形で固まった。
(“白い悪魔”だってよ・・・・)
(ハマリすぎだろ・・・嬢に・・・・・)
(組長が乗りたかったんじゃ・・・?)
みんな口に出しはしないけれど、考えていることにあまり差異はない。

深刻な緊迫感はないものの、和やかとも言い難い、微妙な空気の中。
一人だけ全く異質な雰囲気を纏って、ひどく柔らかい眼差しを膝の上のクマへ落とす若頭。
沢木は決済の済んだ机上の書類を差し替えながら、その優しげにも映る横顔を見やって目を伏せた。
若と嬢。
二人を長年近くで見てきたけれど、ときどきこういう気持ちにさせられる。───温かい気持ちに。
当麻の出来の良さに驚かされるのは毎度のことだが、それと同じだけ、征士の器の大きさに敬服するのだった。
若頭は、人を羨んだり妬んだりすることが不思議なほどない。
今回のことにしても、そうである。
役員でもある征士が不動産部門の一プロジェクトを指揮することなどはないが、しかし、今回の当麻の活躍は、明らかに彼自身ではなく征士の土俵上で披露されたのだ。
果たして自分なら、従弟の快挙をここまで見事にただ喜び、誇れただろうかと。
思うと沢木は、ただただ瞠目するしかないのだった。

そして、若頭本人は。
クマのつぶらな瞳を見つめて、従弟を思っていた。
否、従弟を語った、気に食わない役員の言葉を思い出していた。
「素晴らしい従兄弟をお持ちですなぁ、いやぁ、羨ましい。・・・・大切になさるが宜しい・・・・・」
社の最上階のエレベーターホールで。最後の一言は囁くような小声で告げられた。
まるで、金の卵を産む鶏をしっかり捕まえておけと言わんばかりの、嫌な物言い。
表情筋を動かさないことでは定評のある征士でも、この時ばかりはピクリと頬を痙攣させてしまったかも知れない。
(奴に言われるまでもなく、アレのことは大切にしている)
あの役員が言った意味では全くないが。
(・・・・次に会えるのは、一週間の出張明けか・・・・・)
思って、若頭は膝の上、どこか優しい手つきでコテッとクマを倒してみたりするのだった・・・。

To be continued.


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