+++ Indigo Waltz +++
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ハッピーラッシュ


 先だってファッション誌のモデルコンテストで優勝し、顔も売れたのか最近ようやく仕事が増えてきた亨は、所属クラブの事務所へ足どりも軽く向かっていた。ここ連日通っている事になるが、まだまだ新人で事務所と自宅が近い亨は、当然歩きで通っている。天気も良いが湿度も高い中、徒歩20分のこの道程が、しかし全く苦にならなかった。自分でも可笑しいと感じながら、しかし逆に嬉しいくらいだ。事務所に呼ばれるということは、自分に仕事があるということ。
事務所ビル1階のエントランスに小気味よく靴音を響かせながら、まだまだだ、と亨は心に思う。こんなものではまだ遠い。もっともっと近づきたい。あの人に。
そう思う気持ちが憧れなのか尊敬なのか、それとも恋愛感情なのか。亨本人にもはっきりとは分からなかった。

「おはようございまーす」
最近やっと出入りに慣れた、しかし慣れると堅苦しくなく居心地の良い空間へ、愛想よく挨拶しながら踏み入った。
以前この空間を肩身狭く感じたのは、自分に仕事が───ヤル事がなかったからだと今なら分かっている。このアットホームな空間の中では、和やかながら皆自分のやるべき事を知ってそのために動いている。あの時、その中で一人だけやるべき事を持たなかった亨は居心地が悪いというより心細い思いで突っ立っていたのだった。
「お前、挨拶もできないのか?」
いきなりピョコッという間抜けな音と額に懐かしい衝撃を感じて、その時亨はやっと自分が立っている場所を思い出した。
「なにボケてんの?」
説教するようでは全く無く、からかって楽しんでいる───完全に子供のような表情で、誰でも知っている蒼い美人が目の前に立っていた。惚れ惚れするくらいキレイな立ち姿で。片手にビニール製の、あの赤と黄色のピョコピョコハンマーを持って。
あいさつはしましょう、と・・・。
あの時から好きなんだなぁ・・・と、亨は懐かしく回想していた。

おはよう、ごくろうさまと、口々に声を掛けてくれる事務所のお姉サマ方の向こうで、自分でモデルをすればイイとよく言われる甘い顔立ちの社長以下、裏方の主だった顔ぶれがテーブルを囲んで和気藹々と、だが真剣に何やら話し合っている。
「あれ・・・何やってんですか?」
不思議な熱気に、余計なことかと思いながらついつい訊いてしまう。
「あぁ、TOHMA のポートフォリオ用の新しい写真が上がってきたのよ。最終的には本人も加わって決めるんだろうけど、ある程度選別しとくんじゃない?どれを差し替えるか」
「見てちゃだめかな・・・?俺」
件のテーブルに熱い視線を送る亨に苦笑して、お姉サマはポンと背を押してやる。
「邪魔しなければ大丈夫よ。ちょっと見せてもらえばいいわ」
勉強になるわよ、と言いながら亨を見送ったその後ろで、私もさっき見たし、目の保養よねと彼女が笑ったことを、亨は知らない。

「あぁ、亨、いい所にいたね」
勉強になったかどうかはともかくも、それなりに色々と考えた末に、コレ1枚貰えないかなぁなどと思っていたところへ社長の声がかかる。
「ちょっと頼みたいんだけど、いいかな?」
訊いていながら尋ねていない言葉に、一応首肯する。
「ちょっと上行って、当麻の様子見てきてもらいたいんだ」
まるで幼児の面倒を年長の子供に頼んでいるような言葉も、ここでは誰も不思議に思わない。あまりにも当然な様子で平然と口にする社長のせいでもあったが、午前中の当麻の使えなさはまさに幼児並だと、誰もが平等に身をもって体験した結果、知らなければモグリと評されるほど常識と化した事項なのだった。
「朝起こしたんだけど、もしかしたらまた寝ちゃってるかも。寝てたら起こして、冷蔵庫の中のサンドイッチ食べさせてやって。あぁ、亨も食べていいからね」
首からネックレス状に下げられたカードキーを外して差し出しながら頼まれた内容に、亨は嬉しさのあまり反応しきれず呆然と社長の柔和な顔を見つめてしまった。
「いい?」
「は・・・はいっ。もちろん」
事務所の所属モデルが皆一様に示す反応ににっこり笑って、社長───毛利伸は亨に鍵を渡した。

 事務所ビルの最上階は社長の自宅になっていて、そこへここ一週間程はずっとトーマが泊り込んでいる、とは亨も聞いて知っていた。事務所のお姉サマによると、一緒に住む恋人が海外出張で留守にする期間に合わせて仕事を詰め込み、一人の家へわざわざ帰ることも無いだろうとのなりゆきらしい。ここ数日は事務所で一緒になることも多く、そうか、事務所へ顔を出すのが嬉しいのはこの所為もあったと今更のように思いながら、亨は最上階、一つしかない部屋の扉を開けた。
「おはようございまーす」
靴を脱ぎ揃えながら耳をすます。静かだったが無音ではない。どうやら起きているらしいと判断する。眠っているトーマを起こすなどという勿体なくも畏れ多い、でも一度はやってみたい事をせずに済みそうで、亨は少しホッとしたのだった。もちろん残念な気もするが・・・。
音を頼りに廊下を進み、一つ扉を開けると、そこはかなり広いリビングダイニングである。
聞こえていた音は、どうもテレビの音だったらしい。バスドラムのような低音で刻まれるリズムと歓声、ホイッスルの音。画面ではバスケットの試合が展開している。
その向かいのソファーセット。ハイバックのそれに辛うじて座っている格好で、トーマがくったりと沈んでいた。
「亨か・・・おはよ・・・・」
発する言葉も含めて、存在そのものが気だるさを体現している。だが、少し向きを変えて亨の方を振り返った青白い顔に浮かんだ笑みから、機嫌は悪くないと知れた。彼の日常的な午前中に見られるテンションの低さを考えると、いっそ機嫌は良いとまで言えるだろう。
が、程なくその上機嫌の理由を目にして、優等生とは言いがたい人生を歩んできた亨も流石にうろたえる。
「・・・・いいの?朝からビールなんか飲んで」
ソファーの上で力なくバドワイザー缶に添えられた細い指先が、それでもテレビから聞こえる試合BGMと同じリズムを刻んでいる。
「なんで?ちょっと血圧も上がってイイ感じよ?俺」
まだ頼りなく擦れる声で、オモシロそうに返される。
「社長に怒られない?」
「3本飲んだら言うだろうけど、俺が1本飲んだくらいじゃ伸は何も言わないだろ」
逆に朝だから、と言われると、ふーんそうかとも思える。社長が黙認するならいいやと、トーマ自身の判断は全く信用せずに、亨は冷蔵庫からサンドイッチを取り出した。
大皿をソファーセットのテーブルへ置こうとすると「届かねぇだろ」とダメ出しが入る。どうやら当麻には、背もたれから起き上がってテーブルまで手を伸ばす気などさらさらないらしい。ここへ置け、と力なくソファーがポスポス叩かれた。
お前も食えと顎をしゃくられたのに、いただきますと軽く頭を下げて、亨はハムサンドを手に取った。
「この時期なのに、サッカーじゃなくてバスケなんだ・・・?」
座って落ち着いたついでに、部屋へ入ってきた時からのちょっとした違和感を思い出して訊いてみる。世の中はワールドカップ一色だ。普段Jリーグなど気に留めない亨も、何となく世間の(マスコミの?)波に乗って何試合かテレビ観戦していた。そんな中でバスケット。亨には不思議な感覚だった。
「んー・・・・・。俺、サッカーってルールもよく知らないんだよな、実は」
当麻は困ったように天井に目をやってから苦笑する。
「向こうではサッカーってニュースにもならないんだ。もう全然」
競技人口どのくらいあんのかな?ってーか、やってる奴いんの?いや、いるだろーけど・・・。
難しい顔で仕舞いにはぶつぶつ言っている。
当麻はいわゆる帰国子女だ。彼が言う“向こう”がアメリカだという事は亨にも分かった。
「・・・・マジ?」
「うん。マジで。だからってーか何てーか、俺にとって今はNBAファイナルの時期なの」
試合画面へ目をやりながら、嬉しそうにふわっと笑う。その横顔に、亨は思わず見惚れるのだった。
「だいたいさぁ、良くは知らねーけど、1時間半も走り回って両チームとも1点も取れないことがあるなんて、そんなの見てて楽しいの?ヤだね、俺は。そんなストイックなゲームは性に合わない。その点、バスケはオフェンス50秒だぜ?どんなにロースコアなゲームでも退屈してるヒマないじゃん」
まだ午前中にもかかわらず、当麻の口数は多い。
来た!フェーダウェイッ。splendid!
呟き程度の小さな声だが、当麻は本当に楽しそうだ。
ダーンク!・・・カッコイイ・・・・・。
ため息混じりの感嘆。
こちゃこちゃ動き回るコート上のゲームは亨にはイマイチ分からなかったが、ホントに好きなんだなぁ・・・と感心するやら微笑ましいやら、亨は尊敬する当麻の横顔を眺めるだけで楽しかった。
「うーん・・・やっぱコレでしょ。焦らされんのもたまにはイイけど、やっぱガンガン入れてくれないと」
・・・・・ん?
亨は少し眉間に縦皺をよせて考え込む。
さっきから微妙に気にはなってたんだよな・・・。
例えば『ストイックなのはヤだ』とか、『来た』とか、背筋をゾクッとさせるため息とか。
考え過ぎか?
当麻の横顔に無言の問いを投げる。子供のような表情でゲームを見つめている横顔に、やはり自分の勝手で下世話な妄想だと結論づけて、同時に襲い来る恥ずかしさに赤くなった顔を俯けた。確かに当麻は、その手の色っぽい仕事も噂も多い。
だからって・・・・俺ってサイテー・・・・・。
と、亨が激しく反省しているその横で、当麻はテレビ画面から少しだけ上へ視線を外して、表情はそのまま恋人の顔を脳裏に描いていた。
あーあ、征士がここにいたら、黙ってニヤっと笑ってくれるのにな・・・。
唇の端を片側だけ上げた意味ありげな笑顔。端正な顔をわざと歪めた表情は、それでもその美貌を損なうことはなく、逆に凄みを増すようで、当麻を魅了する恋人の表情の一つだった。
試合は第3クォーターが終わって、ダンサーの女の子達がコート上に走り出てきた。
「ん?どした?」
立てた拳を口に当てて動揺を隠している亨を顧みて、当麻は不思議そうに尋ねる。
「あぁ、悪い。朝からゲヒンだったか。・・・・欲求不満なのかな?俺」
やはり表情を変えず飄々と言い放った当麻に、やっと立ち直りかけていた亨はあっさりとノックアウトされた。
─────やっぱり、そーゆー意味だったんだぁ・・・・・!
がっくりと項垂れる。
でも・・・・こーゆートコロも好きかも・・・・・・。
結構打たれ強い亨だった。
「・・・・ちょっとちょうだい・・・」
サンドイッチ越しに手を伸ばして、当麻の手から温くなりかけたビールを奪う。グビグビッと遠慮なく飲んで立ち直りを図った。
「征士さん、いつ帰って来んの?」
「ん?・・・・いつかな・・・?予定だと今日だったんだけど・・・」
少しつまらなそうに、でも比較的かわいい女の子を目で追いながら当麻が答えるのに、亨はあれ?と思う。他人事のような、微妙に自棄が混じったような、らしく無い言葉を聞いた気がしたのだ。
「連絡ないの?」
心配そうに言う亨に、当麻はふっと笑った。僅かに目が伏せられて、何となく淋しそうに感じられる。
「電話はくれてるんだけどな。ここ3日位ずっとすれ違いなんだ。ちょうど俺の撮影中だったり、俺が寝ちゃってたり」
当麻の撮影は、亨も見学させてもらった事がある。
緊迫感とか迫力とか、とにかく凄いと感じた。
確かに、あの撮影中に電話が入っても、当麻は出ないだろうと思われた。例え恋人からでも。
「俺が出られなかった電話は伸が出てるし、変更あったとは言ってないから、やっぱり今日帰ってくるのかな?」
何とも自信なさげな言葉に、亨は何と返してよいか逡巡する。慰めたいのだが、言葉が見つからない。こんなことならピョコピョコハンマーで叩かれたり逆セクハラ(?)されている方が良かったと亨までへこみかけたところへ、突然テレビの音とは違う電子音が割り込んだ。
この場の雰囲気に馴染まない、あっけらかんと明るく大袈裟なまでに壮大な、耳に馴染みのある曲。
その曲が鳴った瞬間、亨の目の隅でぴくっと動くものがあった。
「征士だっ。帰ってきた・・・!」
ママだッ、帰ってきた!と玄関へ走る子供より勢いは劣るが、しかし充分嬉しそうな声を上げ、サンドイッチのためには起き上がらなかった背もたれから起き上がって、当麻はテーブルの上の携帯電話を手に取った。
はぁい?起きてたよ。お帰り。今どこ?
目を伏せてはいるが、先程の影は全く消えた当麻に安心して、亨はテレビの音量を下げてやった。柔らかい笑みを見せてサンキュ、と唇の動きだけで言う当麻に、下に戻ると身振りで伝えて、亨は少しだけ淋しさに似た気分で当麻の嬉しそうな声に背を向けた。

「ご苦労様。当麻、どうしてた?」
亨が差し出した鍵を受け取りながら、気配り社長が労う。
「起きてましたよ。凄く静かに機嫌よくNBA観てました。ビール飲みながら」
言わないでおこうかとも思ったのだが、なんとなく少し意地悪な気分にもなって、亨は親に兄弟の悪戯を言いつけるように一言付け足した。伸はそれを聞いてくすくす笑う。当麻の事だけではなく、まるで亨の気持ちまで全て解っているように。
「当麻に電話来た?征士から」
「・・・はい・・・?」
どうして知ってるんだろうと、亨はまじまじと伸を見つめる。
「先に僕のところへ電話があったんだ。成田へ着いたんだけど、今当麻に電話しても大丈夫かって」
携帯に電話もらっても出られないってのがあんまり続くと、当麻も気にするだろうってね。
自分が何を感じているのか、自分の気持ちが把握できず、亨は少し呆然とした。が、自分の尊敬する当麻の方だけが恋人の言動に沈んだり浮いたりしている訳ではないと、ちゃんと相手の方も同じように当麻を心配し気遣っていると思うと、なんだか嬉しいような気もしていた。余計な世話だろうが。
「あの・・・征士さんって、どうゆう人なんですか?」
余計な世話ついでに訊いてみると、社長は心得たようににっこり笑う。
「心配?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・・」
「僕は心配だったよ」
にこやかなままの社長の言葉に、亨は絶句する。
「だからホントに色々調べたし、探りも入れたし。その上で、一応任せられる奴だと判断した。そうじゃないと、許したりしないよ。僕は」
絶対に、とニヤリと笑うのに、亨はやっと思い出す。優しい社長が実はとんでもなく厳しくコワイことを。
まぁ、社長がそこまで言うなら安心だな(結局心配だったのか・・・)と思う。
微妙に柔らかい表情になった亨を満足そうに見て、伸は手元の書類に目を落とした。
「そういえば、当麻の携帯の着信音、征士から掛かってきたヤツ、聞いた?」
「あぁ、あれ、何の曲でしたっけ?」
聞き覚えはあるんだけどなぁと亨はバカバカしい程大袈裟な曲を思い返した。
「亨の年代なら、ぎりぎり知ってんのかな?あんまり若い子は知らないかもね、あの曲」
自分で打ち込んでたよ。よくやるよね、ヒマじゃないくせに。目は書類にやったまま、楽しそうに伸が言う。
「スーパーマンのテーマだよ。あの曲」
ピンチには絶対に助けてくれる、不可能はない正義の味方。
「当麻にとっては、そう、なんだろうね」
顔を上げた伸の目が、本当に優しく亨を見ていた。
何がどう、というのではないけれど、ふいに泣きたいような気持ちになって、それでも亨は努力して笑ったのだった。


Fin


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