+++ Indigo Waltz +++
mobile style >>novel>>
VANILLA
日本では秋の夜長というらしい。月も綺麗な夜だった。
当麻はこの季節が好きだ。確かに食べ物はおいしい。それも理由であるにはあるが、夏から移って秋も深まったこの季節、ベッドの上で布団に包まれた温かさを何よりこよなく愛している。いや、包まるというよりは、埋もれているという方が正しいのかもしれないが。
いつもはこれで、ぬくぬく幸せ大満足♥ となるのだが、今、彼はそこへノートパソコンなどを持ち込んでちょっとした不幸を味わっていた。
16歳までの生活基盤だった米国の病院に付随する研究機関の手伝いをして、もう随分になる。本人としてはあくまで“手伝い”だと思うのだが、当麻がどう思おうと、どう主張しようと現実は現実。催促もされれば数多相談も持ち込まれる。俺の仕事はモデルだ!と言ってみても、そのずっと以前・・・それこそ世間様が幼児と表現する頃から、彼は正規の研究員とされていたのだ。放り出したいような気もするが、今日は恋人も残業で遅くなると言う。どうせ一人でいるならこの隙に片付かないものかと、ベッドの上、世間様ではあまり評価されない格好で不承不承ながら取り組んでいるのだった。
いつのまにか擦り寄ってきた飼い猫が、『どれ、進んでいるか』と問うように液晶画面を覗き込む。『何だお前?』と見やった猫の横顔が余りに真剣で、そんな場合でもないのに楽しくなる。
「お前も一緒に考えろ・・・」
言われて猫も、何か考えてでもいるかのように暫く当麻の横を動かなかった。
どのくらい経ったのか、肩と背中の余の痛みに集中力も解ける。うつ伏せの姿勢から、適当に右へ左へ転がりながらパソコンを弄っていたのだが、やはりもう限界かと、姿勢を正す選択肢は思い浮かべずモニターの隅の時刻を確認すると、それでも4時間は経っていた。もういいでしょうと、印籠を下げたご隠居さんのように呟いて、そそくさとデータをMOに落とすとPC類を片付ける。本来あるべき姿勢でベッドに潜り込むと、カーテンを引き忘れた窓の向こうの夜空に、かなり移動した月がやけに大きく見えた。その柔らかい光に、ふと恋人を思い出し、今頃まだ仕事をしているのかと取りとめもなく思ってみる。そのうちにゆっくりと睡魔が訪れて、それでもぽやんと月を見るとも無く眺めていると、悲しいわけではない全く生理的な涙が筋を引いてこめかみを流れ落ちた。いつものことなので当麻は気にしない。その上暫くは続くので拭いても限が無いと面倒くさく、敢えて気にしない。カーテンを閉め忘れた窓はそのままに、寝てしまおうかと当麻が目を閉じかけたちょうどその時、ふいにベッドルームのドアが開けられた。
カチャ・・・という遠慮がちなその音に、科学が証明しきれていないもの───いわゆる“お化け”の類が心底苦手な当麻は内心かなりビビってドアを振り返ったが、眠気のために緩慢な動作がそうは見せず。
「晃士・・・・?」
そこにはちゃんと足の付いた人影があり、当麻のビビリは本人によって無かったものとされた。
「どうした?起きちゃったのか?」
伸びをするように伸ばされた当麻の腕に『こっちおいで』と呼ばれ、晃士と呼ばれた小さな人影は半分泣きそうなベソかき顔で小脇に小さなヌイグルミを抱えたままベッドへ足を向ける。が、すぐに涙の溜まった目を見開いてその足を止めた。
「・・・泣いてんのか?当麻」
舌足らずな感は否めないが、口調はイッパシである。その可愛い生意気ぶりに、当麻は思わず顔を綻ばせた。
「ううん。平気」
とは言え、依然として涙は確かに流れている。心配そうに自分の顔を覗き込む可愛いカレに、泣いてるわけじゃないんだけどなぁ何て言ったら納得するかなぁと、当麻がのんびり考えている間に、カレの中では何かが納得されてしまったらしい。
「僕が一緒に寝てあげる!」
どうやら“当麻のために”一緒に寝てくれる気になったらしい頼もしい彼の言葉に、もとよりそのつもりだった当麻が否やを唱えるはずも無く、尚更笑みを深めて早速彼のために布団を捲って場所を空けた。
「ん。ありがと♥ 」
お気に入りの当麻にお礼まで言われ、満足そうな笑顔でベッドによじ登る晃士の横を、突然怪獣に急襲されたごとく悲壮な慌しさで猫が擦り抜けていく。
「あれ?エリーが・・・」
「大丈夫。あっちにエリーのベッドあるから」
いつもの蜜月ぶりはどこへやら、当麻はあっさり応えて飼い猫を悲しくさせた。
「晃ちゃん、枕は?俺の腕枕でいい?」
極めて楽しそうな声を恨めしげに振り返り、この場にいない人物の分もと考えたかどうかは定かでないが、猫がふぅっと特大のため息をついた。
日付も変わって随分たった、丑三つ時のベッドルームで、征士は言葉も無く眉間に皺を寄せた。
ベッドの上。我が最愛の恋人と、ヨソのオトコが眠っている。
疲れた体から尚更力が抜けていくような、それとも何処かから何か妙な力が湧き上がってくるような、なんとも言えない心地で征士は暫し憮然と立ち尽くしていた。
何か感じるものがあったのか、ん・・・と呻くような声をあげて、当麻が身じろぐ。
「・・・れ・・・・せぇじ・・・・?」
掠れた声も可愛いと思う、自らのただならなさを問題にせず、征士は恋人の上に屈み込んだ。
「すまん。起こしたな」
「ううん。なんか目が覚めた・・・・」
珍しいことを言って当麻は恋人の首を抱こうとし、右腕が上がらないのに目をやって、嬉しそうに笑った。そのいつにない柔和な目をそのまま征士に戻して、じっと視線を当てる。まだ眠いだけなのかも知れないその眼差しに、常と同じく勝手に征士は意味を持たせるのだった。
「おかえり・・・」
「ただいま」
征士は首に回された恋人の左手に引かれて口付けを落とし、当麻は大好きな深い声にうっとりと目を閉じた。
「風呂は?」
「いや、まだだ」
ふーんと応えて未だ首を抱いたまま、無意識にか項を指の腹でそっと撫でてくる恋人の意図を量るべく、征士は大きな瞳を覗いた。一般的に判断するとこれは誘われていると思われるが、まさかここで始めて良いわけもない。
「ん?」
結局分からず、額を合わせて手っ取り早く尋ねると、にっこり笑って水飲みに行きたい、と答えが返る。
何だ水かと気落ちしないでもなかったが、それでもリクエストに応えるべく、征士は首に掛けられた手をそのままに腹筋で恋人を起き上がらせようとした・・・ところで待ってと止められた。
「晃士起こしちゃうよ。・・・・そっちの小さいクッション取って」
「そんなもの転がしておけ」
ぽやんとしながら、それでもしっかり腕枕の代わりを心配する当麻に、自然征士の声が尖る。
「ばか。いいから取れって」
大人気ない征士の言を笑って、自分の腕とクッションを入れ換えるべく、当麻は恋人の首から放した左手に晃士の頭を抱き直した。
スーツもそのままに、征士はソファに深々と座り込んだ。その視線の先で、当麻が青白い喉を晒して水を飲んでいる。
「風呂、入れるよ?」
「ああ・・・」
体の深い場所に沈殿したような不機嫌を自分でも持て余して、征士はただ自分に向けられた恋人の顔を見ていた。薄暗いリビングでフロアライトの淡い明かりを受けて、瞳が深い蒼に映る。つまらない自分の苛立ちをその蒼に伝染させたいわけではなく、表情には極力出すまいと自分を戒める征士だった。
「疲れてだるだる?」
返事をしただけで動かない征士に、こころもち首を傾げる仕種が可愛らしい。が、当麻の機嫌を損ねたくないと思いながらも、少しはこの疲れからだけではない苛立ちを察して欲しいような気もして、征士は敢えて応えを返さなかった。
当麻はちょっと考える素振りを見せて、何かを察したのか深くは考えなかったのか、幾分ダークな笑みを浮かべてソファに近づいてきた。征士の膝に片膝から乗り上げるように体重をかけ、キレイに笑んだままじっと征士を見詰めた。
「俺が脱がしてやる」
その言葉から征士の気持ちを汲んだかどうかは分からなかったが、征士は目を逸らさずに唇の端を笑みの形に吊り上げ、黙って当麻の腰を自分の腹に引き寄せた。
「だめ・・・スーツ皺んなる・・・」
「構わん」
抱き込もうとする腕に抗って、当麻は征士の肩に突いた腕を突っ張る。あくまで自分の主導権を譲る気はないらしい。征士は仕方なく取るに足らない野望を諦めた。それでも腕はしっかり恋人の腰を抱いていたが。
綺麗に手入れされた細い指が征士のネクタイのノットに掛かり、殊更ゆっくりと緩める。おもむろにグッと手前に引いて結び目を解くと、シュッと小気味良い音をさせてそれを外した。
うっとりと目を潤ませている年下の恋人の面から目が放せず、目眩すら誘うその艶やかな空気に心地よく身を委ねながら、それでも征士は心配せずにはいられない。どこで覚えてくるのかと。当麻との関係は勿論恋人なのだが、5つの年齢差のせいか時に親子のようでもあり、兄弟のようでもある。普段何かと気を配って当麻の世話を焼くことが多い征士の戸惑いも当然だろう。
まぁ、好きだけどな。こういうシチュエーションも。
ボタンを外し終えた当麻の掌がシャツの中に差し入れられる。そのまま征士の胸を肩に向かってゆったりと撫でて、シャツを肩から落とした。その感覚を征士は目を細めて追う。当麻の生業を考えると、これは才能なんだろうととりあえず安易に納得しつつ、征士は魅力的な恋人のピンと伸びた背骨のラインをパジャマの上から辿った。
ベルトのバックルが外されて、ズボンの前が寛げられたところで当麻の手が引かれる。ふふっと笑って上げられた顔は可愛らしいが、妖しいような艶やかさはもうなかった。悟って征士は顔を顰め、眉を片方上げて見せる。おいおい・・・と。勘弁しろ、と続くのかもしれない。
「ほら、早く風呂入って来いよ」
「一緒に入ってもくれないのか?」
分かっていて最後の抵抗を試みる征士に、可愛い恋人は本当に楽しそうに笑って首を横に振った。
「だぁめ。スーツ掛けといてやるから。な?」
ため息を吐いて立ち上がる征士の足からズボンも抜いて奪い取り、にっこり笑って、いってらっしゃーいと手など振っている。大サービスの投げキッスまで受けて、バスルームへ歩き出しながら負けを認めて征士は目だけでぐるりと天井を仰いだ。
風呂から上がった征士がリビングへ戻ると、案の定薄暗いままでテレビだけが煌々と点いていた。かなり音量は抑えられているが、それでも特徴のある排気音を響かせて、画面ではF1カーが次々とコーナーを曲がっては消えていく。
元のソファに沈んだ征士の気配に、テレビの前に座り込んでいた当麻が振りかえった。
「飲む?」
手元に持ったままだったミネラルウォーターのボトルを掲げて訊いてくるのに頷いて、征士は子供を呼ぶようにパジャマの上から自分の膝をぽんぽんと叩いて見せる。
笑って当麻も素直に側へ寄った。征士が水を飲むのを待って、跨ぐように膝に乗る。腰を抱いた大きな手が密着させるべく引き寄せるのに、今度は逆らわなかった。それどころか、くったりと征士の胸にもたれて満足そうなため息を聞かせる。
「なんで帰る早々怒ってたの?」
からかうような、面白がるような声音に、なんだお見通しかと征士も内心苦笑する。が、やはり顔には出さない。まだ消えた訳ではない多少の苛立ちを、無表情を装う顔に表していた。
「怒ってないさ」
「うそ。怒ってるよ」
誤魔化されてくれない恋人に、征士は沈黙で応えた。苛立ちの理由は、分かっている。分かってはいるが、格好の悪さからあまりはっきりさせたくない征士だった。
「晃ちゃん、まだ4つだよ?」
征士はまだ応えない。
「お前の可愛い甥だろ」
耳朶が唇に柔らかく食まれて引かれるのを甘んじて受けながら、やはり征士は黙っている。
「ほっぺにチューしかしてないけど?俺」
「ばか」
そんなことを心配していた訳じゃないと言いかけて、妬心に変わりはないかと言葉を飲んだ。見透かしたように、当麻はくすくす笑う。しかたないなぁとでも言いたげな優しい笑いが、征士の首筋と胸を振るわせた。当麻の手が、征士の項にかかる髪を梳く様に撫でる。感触を確かめるようにゆっくりと。宥めるように、ゆっくりと。
「仙台のお母さんも言ってた・・・」
ため息に紛らせて当麻が言う。仙台は征士の実家だ。母?と問うように、訝しげに征士が恋人の表情を覗き込んだ。
「晃ちゃん、征士の小さい時に似てるって」
窺った恋人の表情は柔らかく穏やかで、征士は黙って優しい声音を聞いた。
「そう言われたからって訳でもないけど・・・、俺もやっぱり考えるよ。征士、小さい頃こんなだったのかなぁって」
「あんな甘ったれではなかったぞ」
やっと喋ったと思うと拗ねた子供のような言い草に、声の渋さとのギャップが尚可笑しく、当麻はくすくす笑って取り合わない。
「俺、いつも征士に甘やかしてもらってばっかだから・・・いつもの逆をやってみたいんだよ。晃士の面倒みるのは征士の世話焼いてるみたいで楽しい」
一緒に風呂入って頭洗ってやったり、スーパーまで手ぇ繋いでミルク買いに行ったり。
その時を思い返すのか、当麻は本当に楽しそうだ。それは素直に征士にも伝わる。
「晃士はなんでだかお前の真似して、荷物は自分が持つって言い張るし・・・・」
ホントにちび征士。
揶揄する言葉には、たっぷりと愛情がこもっている。その情の源泉は、それ以上言われずとも征士にも分かって、頑なな気持ちを浮上させた。
もともと、当麻が晃士と関わるのに反対ではなかった征士だった。いわゆる普通の家族という感覚を知らずに育った当麻に、自分のバックヤードである面々を引き合わせたのも征士だ。それも当麻のためになると思った。にもかかわらず、未知の親愛に戸惑いながらも幸せそうな当麻を見ると、妬心を感じる征士がいる。自分に発する幸福でないと許せないという狭量な気持ち。そんな勝手な征士に、だが恋人は機嫌も損ねず笑って教える。渡された幸福の中心はやっぱり征士だと。仙台の家族は生まれたときからの征士を愛し見守ってきた人たち。征士の姉の子は、幼かった頃の征士を彷彿とさせる人。
蟠っていた何かが解けていくように感じて、征士はゆっくりと息を吐いた。
「すまん・・・・・」
謝るよりも、感謝に近いかもしれない気持ちは、当麻の頭を撫でる大きな手に乗せられた。
「機嫌なおった?」
征士の首筋にチュッと口付けて、相変わらず楽しげに問う当麻に、征士は素直に答える。
「よかった」
満足そうに当麻が笑う。それを密着した肩で受け止めて、征士は改めて思うのだった。渡したもの以上に、自分も多くを受け取っていると。この、皆が羨む、蒼い恋人から。
「当麻・・・・」
呼ばれてゆったりと仰のいた当麻は深い口付けを甘受して、それでも際限なく恋人を甘やかしたりはしない。
「だめ。俺明日も仕事ある」
「・・・・・あぁ、そうだったな・・・・・」
当麻のスケジュールは伸から聞いて全て頭に入っている征士は、やはりダメかと薄い背中に潜らせかけた手を止めた。その引き際の良さが、また当麻の小悪魔な笑みを誘うとも思わず・・・・
蛇足.....
「何だ、この小汚いヌイグルミは・・・?」
ごまふアザラシの赤ちゃんの尻尾部分をわざと指先で摘み上げる征士の仕種に、当麻は堪えきれずベッドの上で吹きだした。
「それ、ウチにいた子だよ。前に晃ちゃんにあげたんだ」
覚えてない?と問う瞳に、征士は記憶を辿る。言われてみれば、ファンから貰ったという少なくない量のヌイグルミを、当麻とちびが何やら楽しそうに漁っていたのを思い出す。
「ウチにいたのは白かったように思うが・・・?」
二人の間ですうすう眠っている晃士を起こす訳にはいかず、当麻は可笑しさに身を捩りながら苦しそうに眉を寄せた。もうこれ以上、苦みばしった超絶に高級な顔と腰にくるその声で腹筋に負荷をかけないで欲しい。いや、好きだけど、その声と顔。とは当麻の苦しい胸の内。
「・・・・晃ちゃん気に入ってくれて、何処行くのにも抱いて行くって、弥生さんが・・・」
だからちょっと汚れちゃったんだねぇと元は真っ白だったヌイグルミをフォローする。
「・・・・このチビが私に似ているだと?」
納得いかないと抗議する征士の頬をつねろうと、晃士を挟んで当麻が腕を伸ばす。酸欠でベッドに懐きながら、殺すつもりか黙って寝ろと、怒りを込めて伸ばされた指はしかし、征士の頬を軽く摘んで引いただけで輪郭を辿りだした。すぐに征士の節高い手に捕まる。
「・・・手ぇ繋いで寝るのか?」
「これもダメか?」
家に帰り着いて以降、何かとダメ出しをされている征士は年下の恋人にお伺いを立てる。
いつもは勢いよくNo! と言える所を披露する当麻だったが、この時はふわりと笑ってゆっくりと囁いた。
「ううん、いいよ♥」
見ちゃいられないと思ったか、それともバカバカしさを予測したのか、結局カーテンを引かれ仕舞いの窓から月は既に姿を消していた。
Fin
↓公告表示エリア