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BODY & SOUL 11

BODY & SOUL 11

悲鳴を飲み込んだような引き攣った息づかい。
奥歯で無理やり噛み殺された呻き。
そんな身の竦む痛々しいものに満ちた時間からようやく開放された果てにあったものは、安堵感に満ちた温かい空気・・・であるわけが無い。
冷たくも重い、身じろぎもさせないような沈黙が圧し掛かり、一番その重圧を受けるべき若頭はどうなのか判らないが、舎弟二人はそろそろ・・・本当にもうそろそろ、耐えられなくなりそうだった。
かといって、何か打開策があるでもない。
それどころか、ルームミラーにチラッと目をやって後部座席の様子を窺うという、そんな些細な動きすら、恐怖に固められた体ではできず。
握りしめた手のひらと言わず、強張らせた顔と言わず、嫌に冷たい汗を滲ませてひたすら耐える時間は、途轍もなく長く感じられた。

その果ての見えない重苦しい沈黙を破ってくださったのは、正に冷気の発生源。
「・・・・・爪・・・、割れた・・じゃねぇか・・・・・」
低く呟くように落とされた言葉は、掠れて力のないために、責めるほどの強さはなく。
凄まじい暴風雨を覚悟していた舎弟二人には、慈悲深い女神のお言葉のようにも感じられた。
それなのに・・・。
その慈悲(?)を、ナンとも思わず無に帰すヤツが、この場には居た。
「爪を立てるから・・・」
常日頃から、いつ如何なる時も低く威厳に満ちたその声音ではあるが。
今日に限ってはその効果も裏目にしか出ない。
外野二人は頭を抱えたくてもそうはできず、あまりのショックともどかしさに手を震わせる。
ハンドルを握った男は「若・・・・・っ」と腹に呟き、助手席の若頭補佐に至っては、「馬鹿・・・・・」と出そうな言葉を額を押さえることで耐える。
案の定というか当然というか、慈悲深い女神も(生来、気は長くない事もあって)即行ブチ切れた。
「・・・んだと・・・? 俺が・・・、悪ィのかよ!」
ああ、ダメだ・・・。もう、ダメだ・・・。(ばーい、舎弟二人)
いや、すまん・・・とか何とか、威厳の半減した低音が怒れる女神?の隣で謝ってはいるが。
「ム・・カツク・・・ッ!」
貴方の言うとおり。私たちの聞くとおり。
まだ時々しゃくり上げたようになって呼吸も整わないお嬢の、迫力は無いながら腹立たしさだけは充分伝わるお言葉を、車中の男たちは黙って大人しく拝聴した。

「ケーキ、・・・・・買え。」
不機嫌もここに極まれり、という抑揚の無い命令の、割りに子供っぽい内容を笑える人間は、車中には居ない。
行きましょう!今すぐ買いに行きましょう!!と、運転席の男は必要以上にハンドルを握りしめる。
ルームミラーを覗けない舎弟たちには知りえなかったが、若頭も了承の意を示して黙ったまま頷いた。
「ロージエのケーキ・・・・」
行き先、決定。
「・・・・端から端まで・・・全種類5個ずつ。いちごのミルフィーユは、人数分・・・プラス5個。」
人数分・・・とは・・・車中の人数を指すものと思われる。・・・・ということは・・・・。甘いもの好きのお嬢は問題なかろうが、辛党の男3人も食べなければいけないらしい。強制的に。今が旬の、いちごのミルフィーユを。・・・・・刑罰だ。
「・・・・分かった」
若頭のGOを受け、瞬時に「柴崎町」と助手席から指示が出るが、指示以前に既に方向を転換するべくウインカーを上げていた男は前のめりの姿勢で頷いた。
「・・・・・」
何か、聞き取れなかったがお嬢が呟いたようで、助手席の沢木は意を決してルームミラーの向きを変え、後部座席の様子を窺った。
・・・振り返って直視する、という選択は有りえなかったのだ。
黒い若頭のコートとその腕に包まれた、明らかに顔色の悪いお嬢が、白い瞼を伏せて若頭の肩へぐったりと頭を凭せかけている。
その顰められた表情と、気遣わしげに触れる若頭の手から、どうやら「頭が痛い」と言ったようだ。
「バカ・・・ヤメロ。・・・防弾の意味ネェだろ・・・」
窓を開けかけた若頭を止める口調も甚だ力なく、言葉では止めながら全く身じろぎもしないところが気になった。
窓に向いた目もすぐに伏せられるのを見止めて、思わず眉を顰め・・・たところで、運転席から伸びた腕に、ミラーの向きを戻された。
そして、バックミラーを取り返した男は、気になって仕方なかった後部シートの様子をチラチラと窺い。
なお更焦りの増した表情で、責めるような目を助手席に向けた。
ちょ・・・っと、どーすんですか!ヤバイじゃないスかッ!
どうするって言われたって・・・どうしようもねェだろうがよッ!
全くの無言の内に舎弟二人は目だけで悪態をつき合って、車は一路ケーキショップへ・・・・


「ちゃんと・・・お前が自分で買って来いよ。・・・藤崎に買わせんじゃねぇぞ」
それまでもたれていた従兄が車を降りるため、逆側の車窓にもたれ直して。
ダルいせいか機嫌の悪さ故か、胡乱な目つきを更に眇めて、当麻は掠れた声で罰ゲームの開始を宣言する。
罰ゲーム第一弾は、ハンパでない数のケーキを買いに・・・・ある意味、“初めてのおつかい”だ。
流石の若頭も、今度は大人しく(余計な事は言わずに)件のケーキショップへ向かった。
ボディーガードを一人だけ連れて・・・。
若頭が降りた後の後部座席へは、助手席から移ってきた補佐役が変わって乗り込んだ。
「ジョー、爪の割れたトコ、切っておきましょう」
小さくて使い勝手は良くないが無いよりはマシな爪切りも入った、グルーミングセットがダッシュボードに入れてあったのだ。
目を閉じたまま、んー・・・と返事だけを返す当麻の力ない手を掬い上げて、その冷たさに沢木は一瞬ピクリと動きを止めた。
血の気がない、とはまさにこのこと。
間違いなく男の手ではあるけれど、自分のものより遥かに華奢な作りの白い指。その爪先にヤスリまでかけながら、胸が塞がる思いを味わう。
実際に出来たかどうかは別として、結局若頭を止めようとはしなかった自分である。
「・・・・・・・申し訳、ありませんでした」
折れた爪を削り終わっても全く温まない手を持ち主へそっと返して、罪悪感に押しつぶされる一歩手前で、改めて姿勢を正して頭を下げた。
「・・・ばぁか・・・」
苦痛の表情を浮かべるのもダルイ・・・という感じに青白く無表情だった顔を微かに苦笑させて、お嬢が笑う。
「お前がヤッタ訳じゃねぇだろうが・・・」
「・・・・・・・」
それはそうなんですが・・・とは、言葉にならなかった。
激高して非難されたほうが、よほど気が楽だ。
「後で征士に・・・シコタマ謝らせてやる・・・」
ほんの少しだけ力が込められた言葉に、当麻の怒りが窺える。
そう。怒鳴り散らさないからといって、怒っていない訳ではないのである。
体調のせいで、今、怒れないだけだ。
その怒りが自分に向いているのではない、とは思っても、やはり顔を上げられない沢木を、蒼い目が薄く開いてチラッと見る。
「・・・でも、気をつけてやってくれ」
「・・・?」
当麻が何を言わんとしているのか咄嗟に分からず、反射的に上げた目が、薄く開かれた ─── 意外に意思の強そうな光を宿した蒼瞳とぶつかる。
「今回は・・・オレだったから、別に構わねぇけど」
構わない・・・ワケはない。
「これが・・・どっかの女で、暴れられて・・ケガでもさせてみろ。傷害は、親告罪じゃねぇんだぞ?」
ここまで言われて、やっと沢木にも当麻の真意が飲み込めた。
と同時に、なんとも言えない・・・痛い気持ちで、呼吸まで苦しい気がしてくる。
“彼らのお嬢”が、この状況で心配しているもの ─── それは、どこかの女のことなどでは勿論ない。
ムカツク!と口では言いながら、それでも従兄の心配をしているのだ。
傷害は、当麻の言うとおり親告罪ではない。
たとえ被害者自身が訴えずとも、警察にでも嗅ぎつけられれば簡単にパクられる。
そういう、ツマラナイ(?)事でリスクを背負う懸念のある状況を作るな、と・・・。
これは自分への指令なのだと、沢木は思った。
『気をつけてやってくれ』という、依頼のような言い回しではあっても。
しかし・・・当麻の心配は、正直に言って、どう考えても杞憂だ、と沢木は思う。
若頭は本来、当麻が心配するような・・・スマートでない荒事をするようなヒトでは決してない。
ただ今回は・・・。
何を措いても尊重する筈の、一番大事にしている従弟を相手に・・・様々な鬱屈が積もりに積もっていたのだろう。
一種の(自己)破壊衝動のようなものかもしれない。
とてもらしくない暴挙に出てしまった・・・今回のケースが、特別なのだ。
そして。
特別な事態の前兆に、気づけなかった自分を悔いる。
止められなかった自分を、自分でシメたい・・・。
「・・・・お前が一番、あいつの近くに・・・長くいるんだから・・・」
当麻はまたダルそうに目を閉じた。
「ガス抜きの仕方とか・・・タイミングとか、考えてやってくれ。・・・あいつ、結構、溜め込むから・・・」
お前も知ってるだろ?と、流された目で問われ。
「────── はい。・・・本当に・・申し訳ありませんでしたッ・・・」
沢木は再度、限りなく誓いに近い謝罪の言葉とともに、お嬢へ深々と頭を下げた。


「あ・・・ちょうど良かった・・・。俺、お前に頼みたい事あったんだ・・・」
ふいに当麻が呟いて、沢木は勢い込んで顔を上げる。
「─── 自分に出来ることでしたら、何なりと・・・」
罪悪感もあって、でも本当に、当麻の願いなら何でも叶えてやりたいと純粋に思ったので、沢木はついサラリと聞き流してしまった。
何が、“ちょうど良かった”のかを。
「あんね・・・俺ねぇ・・・」
どことなく、微妙にオネダリ口調になっているような気も・・・しないではない。
「征士のガキが欲しい・・・」
「・・・・・・・・・・・」
欲しいって・・・・言われても・・・・。
新しいパソコンが欲しい・・・などという欲求とは、ワケが違う。
笑うトコロなのかどうなのか、はたまた自分の聞き間違いか。
切実に答えを求めて当麻の青い顔を凝視するが、相変わらず、表情どころか目も笑ってはいなかった。
「・・・・・・自分に・・・産め、と・・・?」
「馬ぁ鹿・・・」
苦し紛れの呟きを即座に否定されて、そりゃそうだ・・・と安堵の息を吐いた。
「お前に孕めるぐらいだったら・・・とっくの昔に俺が生んでるよ・・・5・6匹・・・」
いや・・・5・6匹は・・・その細い腰で・・・とは思ったが、ソコ以外は仰るとおりだ。
「違うよ・・・そーじゃなくて、」
冗談で言っているのでは、ないらしい。どうやら。
「接待とか・・・そぅじゃなくても・・・、そーゆー機会、あるだろ?」
そーゆー機会・・・? 女を抱く機会、だろうか・・・。まぁ、無くはないですけど・・・?
沢木はまだ話が見えずに怪訝な顔だ。
「・・・誰でもいいとは言わねぇけど・・・、誰か・・・征士のガキ、孕ませろ・・・」
凄い事を、言っている・・・。
「祖父ちゃんは、要らないって・・・ゆーんだ」
当麻の言う祖父ちゃんとは、モチロン彼の祖父にあたる、組の上位組織の長。会長・・・とか、御前・・・とか呼ばれる、大層な御仁だ。本来は。
「弥生さんか、さっちゃんか・・・男の子生まれたら、養子にすればいいって・・・」
子供が不満を言い募るような口調だが、実際不満なのだろう、当麻は顔を顰めている。
「そう・・・ですか・・・・・」
沢木にとっても、無関係な話題ではなかった。
征士の次の代を誰に継がせるのか。つまりは、主筋に誰が加わるか、という話だ。
「弥生さんやさっちゃんの子供が嫌ってゆーんじゃないんだ。・・・・ただ、俺は、征士のガキじゃないのが、嫌なんだ」
誤解のしようがないほどハッキリと、掠れる声に精一杯なのだろう力を込めて、当麻が言う。
「・・・・・・・・・・・・」
とっさに言葉が返せず、沢木は黙り込んだ。
重いものを飲み込んでしまったような感じがして、もしかしたら呼吸も忘れていたかもしれない。
若とお嬢 ─── この従兄弟たち二人が、お互いを特別大切に思っていることは、周知の事実である。
どちらも、人に関係を尋ねられたら“イトコ”だとしか答えないだろうが、それは世間で言うところの“恋人”以上 ─── いや、世間で定義される結び付きとは、比べられないほどに歪で濃い関係だ。
なので、当麻がどういう気持ちで“従兄の子供”を切望しているのか、沢木はかなり正確に理解しているつもりだった。
そして、きっと気持ちの種類は違うのだろうが、自分自身も結論として、当麻と全く同じだと断言できる。
弥生も皐月も、主筋には違いない。そしてその子供なら、当然主筋ではあるのだが。
尊敬し、敬愛する ─── 自分の一生をかけようと決めた若の子供とは・・・気持ちの上で、大違いだ。
そうは思ったが、それは自分の個人的な思いとして、沢木は別の懸念を口にする。
「・・しかし・・・若は・・・?・・・ご本人にそのつもりがなければ・・・・」
難しいのでは・・・?
当麻の言う、“そーゆー機会”がないとは言わないが、しかし、若頭は決して“そーゆー機会”に積極的ではない。
彼が積極的なのは、今目の前でぐったりしているお嬢にだけ、なのである。実際。
「だからぁ・・・、それをお前になんとかして欲しいんじゃん・・・・」
なんとか、と言われても・・・・。
「騙すのでも脅すのでも・・・」
「若を、ですか!?」
「できるよ?オレ」
「・・・・・・・・・」
怖いモンねぇなぁ・・・コノヒト・・・・と、沢木は思った。
「たださ・・・、できるんだけどさ。・・・俺は、組での征士の動き、分かんないしさ」
だからお前を頼ってんの。一番征士と一緒にいるの、お前だろ?・・・と、お嬢は仰る。
「女、抱き込むのでもいいし・・・、ナンなら一服盛っても・・・・・」
・・・不穏さが加速している。
待ってください・・・と、補佐役は辛うじてストップをかけた。
「・・・・時間を、頂けませんか?自分も、考えますから・・・何か・・穏便な方法を・・・・」
協力すると言わされた・・・ワケではないと、沢木は思う。
自分にとって、生涯従う親は伊達征士であり、次の代に直接仕えることは有りえないと思う。
思うが、次の代を・・・お育てするなら、それは伊達征士の息子であって欲しい。
当麻が従兄を思う気持ちとは若干違うだろうけれども、自分も彼に“惚れて”いるのだから。
「自分も・・・・若の子供が、欲しいです・・・」
正直な気持ちを朴訥に漏らした沢木に、当麻は今日、車に乗り込んで以来初めての自然な笑みを浮かべた。
「・・・・うん。ありがと・・・・」
小さく呟かれた声は震えていたような気がした。
その瞳に涙があるかどうか ─── 仰のいた青白い顔の目は殊更しっかり閉じられていたので、沢木に確認はできなかった。


いったいどんな規模のティーパーティーを!?・・・という量のケーキを携えて、騒動の原因が車へ戻り。
一行はやっと家路を辿る。
再び後部座席におさまった若頭は、当然のように従弟を自分にもたれさせて抱きかかえている。
もうすでに、自力で真っ直ぐ座っていられなさそうな従弟の頬に指の項をそっと押し当てて、瞬時に眉を寄せた。
「・・・・冷たいな・・・」
もともと体温の低い従弟だが、それにしても異常に冷たい。
「・・・ただの貧血・・・・。血が下がって、戻って来ねェ感じ・・・・」
辛うじて喋れはするが、ぐったりともたれた当麻はもう目も開けず、額には薄ら冷や汗が浮かんでいた。
「横になるか?」
貧血と聞いて、その方がいいだろうと思ったのだが、当麻はコクッと音をさせて唾を飲み込むばかりで、返事をしない。
「当麻?」
流石に焦って、表情の無い顔を覗き込んで呼びかけるが。
「・・・・・征・・・、気持ち・・悪ぃ・・・・」
もう限界だったのだろう。呟くように、それだけ言って、当麻はふっ・・・と意識を失った。
「っ当麻、当麻っ!」
「若!」
後部座席のただならぬ様子に、助手席からは補佐役が振り返り、運転席ではバックミラーを縋るように見ている。
「・・・・ウチへ、急いでくれ・・・」
呼びかけても無反応な従弟を抱えて、征士は詫びるように舎弟たちへ告げた。
当麻が貧血だ、というなら、それを信じるしかない。
舎弟たちは無言のままコクコク・・と頷き、やっと声を出す事を思い出したのか、「ハイッ」と応えを返して前を向いた。



さて。
お嬢はいったい何が“ちょうど良かった”のか。
沢木はだいぶ時間を経て、落ち着いて思い返して、やっと思い当たった。
思い当たって ────── 寒くもないのに身震いをするハメになる。
お嬢は・・・、従兄に内緒の話を自分とするのにちょうど良いシチュエーションだ・・・と言いたかった・・・だけではなかったろうと、思い至ったからだ。
自らのダメージと沢木の罪悪感を見越して、そのシチュエーションでアノ話題を振るタイミングが、当麻にとって“ちょうど良かった”のだろう。
本当にカタギだろうかアノヒトは・・・?
ときどきぶつかる疑問に今一度ブチ当たり・・・。
怖いくらいの強かさに、寒気すら覚えるが・・・・これが不思議と嫌いではない。
寧ろ、尊敬すらしてしまう。
若頭補佐、とはいってもたかだか舎弟一人説得するのに、ほとんど捨て身のような、あのエゲツナイTPO選び。
タダでは起きないというか、なんというか・・・・。
そして、そんなヒトが、何を置いても優先するのが、自分の敬愛する“伊達征士”なのだ、と。
沢木はなぜだか視界が滲むのを感じて、慌てて空を見上げた。

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