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BODY & SOUL 3

BODY & SOUL 3

「お・・・はよーございま〜す」
コーヒーの香ばしい匂いが立ち込めた清々しい朝の研究室へ、てろーんと力の抜けた声がごついブーツの足音と共に乱入してきた。
「おはようございます」
「おはよーさん」
「なんですか・・・?朝からそのやる気のなさは・・・」
口々に返される挨拶の後にどうしても付け足さずにはいられず、秘書の芙美子は、自分でも小姑のようだと思いつつ、相変わらずの小言を言ってしまう。
「解剖の予定、入ってますよ」
「おぉっ、月曜の朝一から早速・・・」
馬耳東風、馬の耳に念仏、蛙の面に何とやら。
どこか嬉しそうに呟きながら、長いコンパスで自分の机に荷物を置きに行く。パーコレーターからマグにコーヒーを注いで、ふぅふぅとそれを吹き冷ましながら、壁のホワイトボードに貼られた解剖予定表を暢気に眺めている。
この、ホストかビジュアル系ロッカーかという格好の、キレイな男が当教室の助教授(ナンバー・ツー)
そしてその華奢にさえ感じられる肩からも、肩甲骨の硬い感触が想像できる背中からも、芙美子にはど〜ぉしても、やる気とか覇気とか、誠実さとか真剣みなどという類のものが感じられないのだ。
・・・と、どうして自分がこの、若いのに肩書きも素晴らしく、見目も良い男になにかとムカツイテしまうのか、判然とせずに困惑するが自分ではどうしようもない。まさか25にも満たずに更年期でもないだろう・・・と、半ば不安に思う芙美子だった。
「ふーみこちゃ〜〜ん・・・」
その芙美子の非難がましい目にやっと気付いたのか、当麻が振り返って苦笑している。
口調はルパン三世を真似たのかも知れない。全く似ていないけれど。
「怒んないでよー。俺、朝から超ヤル気あるよ?現にヤッて来たし」
なぜだか少し得意そうに、マグカップを持ったままファイティングポーズをとって見せる。
子供のようなその顔つきは、いついかなる時でも無敵だ。きっと誰もが懐柔されて、決して本気で怒ったりはできないだろう。
例に漏れず芙美子も毒気を抜かれ、脱力しながらこめかみを押えた。
(そーゆーやる気じゃないってば・・・)
「なんやなんや、オットコマエの彼氏とケンカでもして来たんかいな」
もう気力も萎えて立ち向かえない芙美子に代わって(?)、教室内最高権力者(ナンバー・ワン)の清水教授がオモシロそうに参戦する。
話題の彼が何処の誰で何なのかは勿論、恐怖心に打ち勝てばつぶさに観察したいほどオトコマエなのも、当麻のイワユル“彼氏”なのも周知の事実。ここではごく普通の話題。
「やってませんって」
なんでそんなに嬉しそうなの・・・?と、当麻はまた苦笑している。
「殴ってやったのはウチの若い奴。こう、ボスッと腹に軽くねv」
と、当麻の証言は、擬音とパンチ力が明らかに食い違う。
「彼氏はどないしてんねん、彼氏は?」
「なんか最近忙しいみたいよ?全然会ってない」
拘る教授をいなす意図があるのかないのか、当麻の答えはかなり素っ気無い。
親子鑑定検査でもしているような神妙な顔つき、慎重な手つきで、冷蔵庫から出した牛乳をマグに注いでいる。
昨夜(ゆうべ)も日付変わってだーいぶしてから帰ってきてたみたいだけど、人の背中にひっついて寝やがるから顔も見てないし」
「・・・・さよか、そら淋しぃなぁ・・・」
などと口では言いながら、目だけで天井を仰いだ教授の顔は、雄弁に別の言葉を語っていた。
(なぁんや。アホくさ・・・・ごちそーさん)
が、あてつけられたまま終わらせる気にはなれなかったのか、瞬く間に立ち直って、年甲斐もなく人の悪い笑みを浮かべた。
「浮気でもしてんのんと違うか?」
「う〜ん。ウチ男だし、2人とも」
ちょっとは凹むかという教授の期待はあっさり裏切られる。
「浮気してないって、断固言い切られちゃっても困るでしょう」
ニヤッと笑ったその頬にも、チラッと流された妙に艶っぽい視線にも、何か更なる毒が含まれているように思える。
(こら僕の負けかいな・・・・・)
なんや悔しいなぁ・・・と教授が潔く次の試合の作戦に心馳せた時、突然、教室に声が響き渡った。
「伊達さんは、そんな人じゃありませんっ!!」
芙美子だった。
その勢いに呆気にとられた清水は、マグカップを中途半端に持ち上げたままポカンと呆け、当麻は当麻で腕時計を外しかけた手もそのままに固まり、目を瞠って首だけで振り向いている。
「あの人は、すごく誠実な人です!真面目で、あんなに一生懸命で、・・・それを浮気だなんて・・・羽柴先生が言うなんて・・・・」
立ち上がって言い募るうちに、怒りたいのか泣きたいのか、果ては何が言いたいのかまで分からなくなりかけた秘書嬢に、なぜか非難の的がふわっと顔を綻ばせる。
「・・・・うん」
どこか満足そうに、非の打ち所なく優しげに柔らかに、当麻が笑っている。芙美子に向けて。
「あいつは、そーゆー奴」
世間じゃ、ヤクザは人間じゃないって言うけど。
キレイに笑んだ頬を一瞬片側だけ皮肉げに顰めた顔が、そう言っているようだった。
当麻は外した腕時計と指輪を無雑作にジャラッと机の引き出しに落とし込んで、悠然と教室を出ようとしている。
「・・・・まぁ、浮気のことは、置いとくとして・・・。俺は“血の色緑”ってよく言われるけど、あいつの血は、ちゃんと赤い」
言いながら芙美子を向いた目から、悪戯っぽい光が失せて。
誠実な笑顔。こんな顔も、できるらしい。
「ありがと」
知っててくれて。
突き抜けるように透明な蒼い双眸が、そう言っていた。
「先生、お先にねー」
「あぃよ」
座ることもできずに微妙な顔で立ったままの秘書嬢とトボケタ顔の教授を残して、当麻はやけに嬉しそうな顔で教室を出て行った。


「血の色緑て・・・・ホンマに医者の言うことかいな・・・?」
教授のズレた独り言と重力に助けられて、ようやく芙美子はストンと椅子へ腰を落とした。
ずず〜っと、もう熱くもないだろうコーヒーを啜る音が、いい具合に空気を和ませる。
「・・・あんまりウチの若(先生)、イジメんといたりぃな・・・」
一瞬イタリア語かと首を傾げたくなる程に怪しい清水のエセ関西弁が、やんわりと芙美子を宥めた。
「・・・・いじめてません・・・」
ばつ悪く、自信なさげにぽそっと呟く秘書嬢を、教授がオモシロそうに見やる。
その、孫を見守る祖父のような・・・と言っては清水に悪いだろうか・・・、娘をからかう父親のような眼差しに促されて、芙美子は訳を明かした。
「私、伊達さんと大学一緒だったんです。同じゼミを取ってたから、週に何度かお見かけしてて・・・、その頃からもう忙しい人だったのに、凄くマメに、自分で連絡とって、東京へ会いに行く段取りして、でもなかなか難しいらしくて・・・・、私、見てたから、それで・・・・」
恋人への電話を舎弟にさせるバカはいまい。自分でやって当然である。が、伊達フリークの芙美子はそんな事にも感銘を受けたらしい。
「ふぅん・・・。顔だけやのぉて、エエ男なんか」
「えぇ」
今度はやけに自信たっぷり、はっきりと答える秘書嬢に、清水は笑みを深めて、何を見るでもなく窓の外へ目を向けた。
「羽柴君が医師免許とったのいつやったか、君知っとったかいな?」
「いぇ・・・?」
「19ん時や」
芙美子の話のお返しに、という訳でもないだろうが、清水は相変わらずのトボケタ顔で、昔語りを始めた。もしかしたら、窓の外には“ウチの若”のもっと若かりし姿を見ているのかも知れない。
「この業界では結構センセーショナルやったから、ちょっと有名な話や。なんぼ優秀な大学や言うてもなぁ、学校入ってまだ一年にもならんようなヒヨッコが、国試受けてまんまと受かりよった。僕もビックリしたわ、ホンマ」
当時を思い出すのだろう、その顔は愉しそうに笑み崩れている。
「そら国試は合格率高い試験やけどなぁ、それは4年間専門習ぅて、それこそ必死こいて受験勉強して受けてこそや。何をどなぃしたら学部2年の春には免許がゲットできんのか、僕には考えもつかん。その後も、飛び級して飛び級して。可能なだけ・・・言うても、普通はムリやけどなぁ・・・最短期間で戻って来よった。なんでそんな急いでたか、分かるか?」
意味ありげに、ニヤッと笑んだ黒い瞳が少し長めに芙美子に留まる。
はよぉ帰って来たかったんや。伊達のボンのトコへな。
言われなくても、芙美子にも分かった。たぶん。
「・・・せやけど、いつ頃から計画して、計算して準備しとったんやろなぁ、ウチの若は。大学受験の準備して、国試の準備もして、飛び級の計画もして。アホみたいに頭えぇんは知っとるけど・・・勉強だけしとったんとちゃうんやろ?・・・伊達の坊とつるんでかなり“やんちゃ”もしてたって、聞いてるで?」
「・・・・・暴走族って言うのとは違うんでしょうけど・・・・、まぁ、そのような・・・・」
“やんちゃ”などという、可愛らしい言葉で言い表しても良いのだろうかと悩みながら、地元民(ジモティー)の芙美子は当時を思い描いている。
「あ・・・生徒会も運営してました」
と、これだけは、ぱっと聞いただけならマトモに聞こえる事を付け足してみる。
だがその実、本当に良いのだろうかと一般生徒が多少心配になる程、大胆かつ華麗に事をやってのける執行部ではあった。そしてその中心にいたのは、金髪で威風堂々とした会長と、その後ろで腹に一物ありそうな華奢な風情の副会長。どちらかと言うと、その副会長の方が本当は、台風の目だったのかも知れない。当時はどうしても、華やかなパフォーマーに目がいったものだったけれど。
でも、その2人が揃っている絵がとても自然で微笑ましく、そうでない今を不自然に感じてしまう芙美子なのであった。
「ふぅん・・・尚更、謎やな・・・・」
教授はマグを覗き込みながら手の中で揺らして、飲み残しのコーヒーを廻しては無駄な思索に耽っている。
「けど、心配するだけアホやで?」
マグから上がった目が、上目遣いに秘書嬢を見る。
「僕らが心配せんでも、羽柴君はメッチャ好きやで?」
あの金髪美人兄ちゃん。・・・なんせ面食いやからなぁ・・・ウチの若。
エライ格好ツケやから、スカしてるだけゃ。
「せやし、伊達の坊も分かってるから待ってたんやろ。そぅでなかったら大人しゅうしとるかいな、あのヒトが。それ以前に、東京行かさへんやろ」
嫌に確かな言い方に、秘書嬢は目を瞠る。
「先生、知ってらっしゃるんですか?伊達さん」
「実はな」
手品のタネを明かすように、ちょっと得意そうに清水は言う。
「羽柴君が始めに教室ウチへ挨拶に来た時に、車で送って来てたんや。ついでやから一緒に食事してな、そん時に丁寧に挨拶してくれたわ」
見てくれ・・・特に目ぇがごっつぃ迫力ある兄ちゃんやったけど、そのナリで、面白いオモロいことにメッチャ羽柴君の世話焼くねん。気ぃ使いながら。
誰もお供連れとらんでなぁ、久し振りやったんかもな、そうゆうの。羽柴君もしゃぁないなぁて顔しながら、黙って世話焼かせとんねん。
笑かすけど、なんや微笑ましゅうて、えぇ感じやったわ。
せやから、心配せんで、任せとったらえぇねん。2人に。

・・・ほな、そろそろ主役登場といこか。真打は最後に登場するもんや。
「・・・・はぃ」
よっこらしょ、と立ち上がった清水に、芙美子は小さな声で、しかしはっきりと応えた。


その頃、法医学教室の若はくしゃみ一つするでもなく、鼻歌さえ飛び出しそうな上機嫌で解剖準備室のドアを開けた。
「おはよーございま〜す」
といういつものてろりん挨拶へ、助手と技師、その他野太い警察官達の声が唱和する。
「先生、お世話になります!」
「ご苦労様〜・・・って、なんで4課の刑事さんまでいる訳?」
いつも見慣れた捜査1課の刑事以外の、あまり会いたくない顔見知りを見つけて当麻が驚きつつも顔を顰める。
「まさか、ご遺体コレないの?」
ご丁寧にも左手の小指を上げる当麻に、すこぶる体格の良い刑事がその悪人面を苦笑させた。
「いえいえ、ついてます」
ご無沙汰しております・・・と、どうしても凶悪に見える顔で笑いながら近寄ってくる刑事に、いやいや、もっとご無沙汰しててイイよ、と当麻も気安く応じる。
「坊はお元気ですか?」
ニヤッと笑う目に、俺よりそっちの方が知ってるくせに・・・と当麻は渋い顔を作った。
「元気でしょ?爺ちゃんも親父さんも元気だし、格さんも助さんも元気に走り廻ってたよ」
そうですか・・・と、普通の世間話をするがごとく言葉だけは穏やかに頷く食えない親父に、・・・で?と微妙に冷たい視線を流す。
「・・・すいません。今日の被害者、中国系絡みの疑いがありまして」
「・・・ふぅん?なぁんだ、それでか・・・」
監察医にケンカを売る気は毛頭なく、素直に明かしてあまつさえ謝った刑事に、当麻の機嫌も簡単に浮上した。
「マル暴だけじゃないのね、仕事」
「えぇ、多いですけどね、マル暴」
「うん、そうね」
さらりと返しながら、当麻は次々と解剖用の術衣を整えていく。
「よろしくお願いします」
淡々と準備を進める、どうしても華奢に映る背中に、見ていないだろうけども少し頭を下げると、肩越しに振り返った瞳がニッと笑う。その意外と強い光が、どこか腹の奥の、敏感な所に心地よく刺さった気がして瞠目した。

「凄ぇ、雰囲気のあるヒトですねぇ・・・」
初めて解剖室へ入った新人刑事が、さっきまでびびっていた事も忘れ、ぼーっと若い鑑定医を目で追っている。
「間違っても手は出すなよ・・・」
心配になって、先輩刑事は釘を刺した。
「港に沈みたくなかったらな」
「・・・は?」
怪訝な顔で振り向いた間抜け面に、4課の常識を叩き込む。
「伊達の若頭のレコだ」
バカにもハッキリ分かるように、右手の小指を上げて見せる。
「・・・・・はぁ・・・・」
新人は、ため息とも返事ともつかない息を漏らした。
「・・・・先輩、格さんと助さんってのは・・・?」
「伊達屋敷の庭で放し飼いにされているドーベルマンだ」
何言ってんだ、常識だろうと無茶を言う刑事達の会話に、噴き出さないように腹筋へ力を入れながら、法医学教室の助手と技師は黙って聞き耳を立てているのだった。

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