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BODY & SOUL 5

BODY & SOUL 5

組事務所として使っている建物から離れに戻った征士は、迷いのない足取りで真直ぐ寝室へ向かった。
離れに二つある寝室のうちの一つ。
当麻の寝室。
と言っても、事実上、“二人の”寝室だが。

目的のドアへ近づくにつれて、その確固たる足どりが徐々に緩まり、気遣わしげに足音を忍ばせ始める。
そして、誰も目にしたことがない、ひっそりと扉を開けて忍び入る風情の若頭の姿が、暗い室内へ消えた。


最小限の間接照明だけを点けて歩み寄ったベッドで、恋人の眠りを確認する。
ここ最近の、征士の日課である。
暖色の弱い明かりに浮かんだ肉付きの薄い頬にかかった髪を、そっと指の背ではらった。
片頬を白い枕へ押し付けるようにして眠っているその顔は、彼らの祖父をして未だに『めごい』と言わしめる、本人は決して認めないが、微妙に童顔。
目を閉じているので、殊更幼く見えてしまう。
口を開けばそんな悠長な事など言っていられないが、黙って眠っていてくれれば本当に天使のようだと、征士は完全に惚れた欲目で思うのだった。

が、しかし。
この守るべき静かな寝顔をしばらく見つめているうちに、具合の悪い精神状態になるのもまた、征士の日課になりつつあった。
部屋に忍び入った時とは全く逆の、無意識の衝動。
これは健全なのか、不健全なのか。正常なのか、異常なのか。
驚かせても、機嫌を損ねても、乱暴に揺り起こしてしまいたい。
今は瞼に隠された、抜けるように蒼い瞳に強引に、自分を映してやりたい。
この衝動が。
・・・・・健全である訳がない。
胸に生まれた衝動を逃がすように、そして恋人の眠りを妨げないように、大きく静かに息を吐いて、征士はようやくバスルームへ足を向けた。



従弟に対していつからこんな思いを抱くようになったのか。
こんな思いでなくとも、そもそも恋心を抱いたのはいつからだったのか。
それは連綿と今に連なる共に過ごした時間の中で徐々に形成された物だからか、いくら考えても判然としない。
しかし今になって改めて考えると、初めて会った、というより見かけただけのあの時の気持ちは、もしかすると一目惚れだったんじゃないかと。
考えれば考える程そう思えてしまう征士だった。

幼くして両親を一遍に亡くしたという外孫を家長自らが本家へつれて来たあの日。
同い年だと聞かされていた従弟は自分とは全く異質な存在で、征士には一種衝撃的だった。
頼りないくらい細い手足。
女の子のように愛らしい顔の中で、目尻の下がった大きな蒼瞳がひどく印象的で。
さらさらの、これまた蒼い髪が風にふわっと攫われて、ときおり空の色に溶け込んでいた。
その小さな当麻は祖父に右手をひかれ、その体格に比べるとどうしても大きく映る熊のぬいぐるみを左手にぎゅっと抱えて。
まだ4つになったばかりだったのだ。
どんなにか寂しく心細かったろう。
「ママは?パパは?」と泣き叫んで当然のところを、しかし聡明さの表れた澄んだ目と表情は毅然としていた。
4つの子供がそんな状況で、しかも“毅然と”などできるものなのかと、誰もが思う。
だが、二十歳を過ぎても“ただの人”にはならなかった“神童”は、随分ムリをしていたにしろ、そうしてここへやって来たのだった。

思えば、その痩せ我慢を不憫に思い、感心し、尊敬もし、愛しいと思ったのが、そもそもの始まりではないかと。
そしてこの、愛すべき痩せ我慢を土台に展開される彼の尊大さが、自らのツボに嵌ってしまった決定的な出来事を思い返して、征士は表情筋が緩むのを感じた。

自分がいつ頃から“子供部屋”を与えられていたのか、征士ははっきりとは記憶していない。
だが当麻がこの家へ来た時、離れにそれぞれ自分たちの部屋があったのは覚えている。
よく考えれば豪勢な話で、4つの子供にそうしたことが教育上良いのか悪いのかは分からないが、当時、夜は二人ともそれぞれの部屋で眠っていた。
そんなある夜。
当麻が来てから、まだそう日は経っていなかった、その夜半。
征士が物音に目を覚ますと、寝室のドアの前に小さな人影が立っていた。
片手にクマを連れて。
明らかに泣き腫らした目で。
どう見ても、嫌な夢でもみて怖くて眠れずに来た風情だったが、驚いてとっさに「どうした?」とも訊いてやれずにいた征士に、彼はしゃくり上げそうになるのを堪えながら、なんとか聞き取れるだけのか細い声で言ったのだ。
「・・・・・いっしょに、ねてやる・・・・」と。
どうしても“お願い”はしたくなかったらしい当麻の強情さに感じ入ったその時の征士の返事は、「・・・・うん。・・・たのむ・・・・・」だった。

あの時、征士が布団を捲って誘ったベッドへクマと一緒に潜り込んで眠ったのが、二人で眠った最初。
次は、夜中にベッドを移らずとも最初から一緒に寝たらいいと唆し、枕の持参を勧め。
その次は、自分がそっちへ行ってやる、と当麻のベッドで一緒に眠るようになり。
そして。
未だに「もういいよ」とか「自分の部屋戻れば?」などとお役御免を言い渡されないのを良いことに、今に至っている。
────と。
これでは少し端折り過ぎだろうか、と反省しかけ、しかし所詮はそうなのだ、と。
征士は苦笑に唇を歪めた。



「ふ・・・・んん?」
煙草と酒と香水が入り混じった匂いをシャワーで流して、そっと潜り込んだつもりのベッドのすぐ隣から、むずかる子供のような声が小さく上がって、征士は固まった。
薄い背中越し、シーツの上を探るように細い腕が伸びてくるに至って、完全に失敗を悟る。
「すまん。起こした・・・・」
沈んだ声で謝った征士に、たぶん「いや」とでも言いたかったのだろう、「んにゃ」と、寝惚けたネコのような応えが返った。
「なんじ・・・・?」
「・・・・4時、だな」
正直に答えるべきか、1・2時間サバを読んで答えるべきか一瞬迷って、結局気まずげにありのまま答える。
「・・・遅かったな・・・」
ごそごそと征士の側へ寝返りを打ちながらの言葉は唸るようで、その不機嫌そうな響きが征士の気を重くした。
果たしてこの声色が眠気ゆえなのか、征士を心配してのものなのか、いまいち判断しずらい所ではある。
「お前・・・ちゃんと寝てんの・・・?」
顔は向けても目は開けず、眉根を寄せたまま繰り出された小言チックなお言葉は、どうやら後者だったらしい。
心配してくれる従弟には悪いがちょっと嬉しくも感じつつ、さてどう機嫌を取り結ぼうかと悩む征士の心情は、面白いほど世間一般の“帰宅が遅い旦那サマ”だった。
「あぁ。少し寝足りない気がする程度だ。心配するな」
殊更軽く受け答えたのだが。
腰を抱き寄せた調子の良さが気に食わなかったのか、「鍛えようが違う」と付け足した言葉が気に障ったのか、ふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らされてしまった。
「いや・・・移動中の車でも眠れるしな。大丈夫だ」
内心焦りながら付け加えてやっと、「ふーん・・・、ならいーけど・・・」と及第点をもらう。
「・・・メシは?ちゃんと食ってんの?」
止まない追求。
いったいどんな顔をしてこんな可愛いことを?と征士が好奇心に駆られて覗き込むと、あろうことか従弟殿は今にも寝そうな風情である。
ちょっと待て。
征士は一人、焦りを覚える。
怒っていなさそうなのは大いに結構だが、これではあまりに愛想なしだ。
まだ寝るな。と戯れに親指で薄い瞼を慎重に持ち上げてみる。
と、途端に眉間が寄せられて、まるで子供の悪戯を咎めるような口調で嫌にはっきり抗議が上がった。
「やぁめーろ。」
出来れば目を開けてもらえないかとの征士の思いは、全く叶えられそうにない。
征士の肩先へ鼻を擦りつけるようにもぞもぞ動いたかと思うと、当麻は尚更枕に顔を埋めてしまった。
「・・・・んで?」
質問に答えていないと、くぐもった声が促す。
「あぁ・・・」
と言ったのは時間稼ぎ。何の話だったかと、征士は一瞬考えてしまう。
「・・・昼と夜は多少不規則になるが・・・」
これ以上、恋人のご不興は買いたくない。
「朝は毎日ちゃんと食べている」
切実に思って征士は殊更はっきり答えた。
が、これだけでは説得力に欠けるかと不安になり、必死に言葉を掻き集めて、毎朝どんなに早い日でも律儀に並べられる和朝食を解説したところでどうにか、「ふ〜ん・・・、じゃぁいーや・・・」という御言葉をゲットし。
そのほわ〜んとした御言葉が、征士を和ませ、元気づかせる。
「お前こそどうなんだ。食べているのか?」
元気づいてちょっと調子に乗った征士は、機嫌を損ねてしまった時にも離さなかった細い腰の脇腹を遠慮なく掴んだ。手触りのいいシルクパジャマの下で、弾力性の少ない体がぴくっと反応する。
「っく・・・すぐったぃ・・・」
また機嫌を損ねるかと一応覚悟はした征士だったが、狙いどおり、くすっと笑いの混じった声が上がって満足そうに口角を上げた。
「俺が食わないわけないだろ・・・?」
苦笑しながらも偉そうな当麻の言に、そういえば夜食まで食べたのだったかと思い出す。
「そうだったな」
頷きながら、更に調子づいた征士はシルクよりも好みの手触りを求めて、パジャマの内側、燃費の悪い体の滑らかな背中を直に辿った。
「ん・・・や・・・だ、ねむぃ・・・・・」
言葉ほどには嫌がる風でもなく、言いながらするりと絡まってきた細い足。
征士は我知らず頬を緩めたが────
次の瞬間、僅かに感じた違和感に動きを止めて、眉を片方跳ね上げた。
「・・・・当麻?」
問うように呼びかけて────判明する事実。
・・・寝ている。
完全に。



なんの嫌がらせかと思うほど密着してくれている恋人の、ほとんど聞き取れないくらい静かな寝息を聞きながら、征士は黙って天井を見上げた。
何と言って嘆けばいいのか。いや。嘆いただけでは収まらないものもある。
・・・・睡眠と食事の心配をしてくれるなら、ついでにもう一つあるだろうが・・・。こら。聞け。
と。
言いたいのは山々だったが。
賢明にも黙っておいた。
すっかり眠ってしまった当麻を相手にぼやくのは、万が一にももう一度目を覚ましてくれるという可能性が限りなく無に等しいために、あまりに虚しく、あまりに情けない。


昔は完全に自分の方が兄であり、保護者だった。

相変わらずさらさらとした従弟の髪を左手で無意識に梳きながら、征士は最近とみに感じる不安についてつらつらと考えていた。

生意気ではあったが時に頼りなく可愛らしかった当麻は着実に成長し、また魅力を増していくのに。
兄であった筈の自分の精神は、二十歳前くらいから成長していないのではないかと。
どうも、置いて行かれているような寂しさと焦りを感じるのだった。

好きだとかなんだとか、そんな甘ったるい言葉はお互い一言も口にしたことはない。
“従兄弟”という間隔からもう少し近づいたのも、「やりたい・・・」との頼み(?)に「いーよ」という返事を貰った、嫌にあっさりした遣り取りからだ。
それでも。
彼は征士にとって、唯一何物にも増して大切なヒトなのである。
口に出して言ったことは一度もないが。

当麻にとっては、どうなのだろうか。
飄々としていながら凛と伸びた彼の背中を思い返して、やけに不安になる。
もう、子供ではないのだ。
征士の立ち入れない、自分の世界も持っている。

昔はそれこそ本当にずっと一緒だった。
お互いに知らないことなど何一つ存在しなかったのに。

「もう平気。一人で大丈夫だから。ありがとな」
などとへらっと笑う当麻を勝手に想像しては一人落ち込み。

まぁ、こうやって、くっついて寝てくれるうちはそうでもないか。と自らを慰める。

埒も無い・・・。

奈落の底まで延々続きそうな思考をため息で断ち切って、征士は残っていた明かりを消すべく腕を伸ばした。



ありがたくて涙が出るくらい、やけに正しく朝が迎えられそうだった。

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