this page is...novelぎぃーし・・・。ぎぃーし・・・。ぎぃーし・・・。
今日も今日とて若頭不在の組事務所に、単調な異音が響いている。
気になるなー、煩せーなー、という非難の視線をチラチラ浴びながら、懲りもせず哲が椅子を軋ませているのだった。
若頭から栄えある“当麻の世話役”を仰せつかっている彼がここでヒマそうにパソコン雑誌を捲っているからには、その不満げな顔と貧乏揺すりの理由など、誰にでも簡単に察しがつくもの。
そのうえ気持ちも分かるだけに、みんな黙っていたのだが。
「テぇーツ。煩せぇ。どーしたよ?」
見かねて兄貴分が声をかけた。
「あ・・・すぃません・・・・」
反射的に謝って、続く言葉は。
「だって、嬢が・・・」
・・・案の定。
「俺のパソコン、一緒に選んでくれるって言ってたのにぃ・・・」
構ってもらえずに拗ねているらしい。その似合わない顔で。
『子供か?己はッ!』と言ってやりたいところだが、構ってもらえていないのは皆一緒。(そーだよなー)と共感するばかりで誰も突っ込まない。
威勢の良い啖呵と組員にも勝る手の早さ(すぐ殴る・・・)を誇る蒼い美人を恨めしく想起して、項垂れる。
もう少し、事務所へ顔を出してくれてもいいのに、と。
次に嬢が事務所へ来てくれたら貰い物の紅茶を試してもらって、あの調子の悪いパソコンを見てくれと引き止めて・・・と策を練る者までいる始末。
尊敬する若頭が大切に想う相手だというのは周知の事実なので、そういう意味でどうにかなりたいとは思わないけれど。
それでいて、買い物にお供しての荷物持ちだとか、外出先で一緒に食事だとかいう機会には、デートv という気分にもなり。
あまつさえ、なかなかゆっくりと一緒にいられない若頭の手前、悪いような気までしてしまうのは何故なのか。
・・・いやまぁ、それはさて置くとして・・・。
それでも、もしも、万が一。若と嬢が決定的にハデなケンカをしてくれた場合はいったいどっちにつこうかと、ありもしない両親の離婚を想定して思い悩む子供のように考えてしまうほど、当麻は一同にとって“憧れの姐さん”なのであった。
「昨日は学生との飲み会だっつって引っ張って行かれたしぃ・・・」
哲のボヤキはまだ続いていたらしい。
確かに、気持ちは皆分かる。
ゼミの飲み会と言われると学生達にムカツキ、監察医として急な呼び出しがかかると、呼び出した警察と、なぜか死人にまで腹が立つ。簡単に死んでんじゃねぇ!と。
とんびに油揚げを掻っ攫われた気分とでも言うのだろうか。
それは分かる。が。はたと我に返る組員たちだった。
「お前この前、嬢に焼肉食いに連れてってもらってたじゃねぇかよ・・・」
自分たちよりは格段に恵まれてんじゃねぇか、と言いたいらしい。
どいつもこいつも・・・・。
低レベルな発言の応酬に自覚のない面々である。
「ん?・・・あぁ・・・、あん時なぁ・・・・」
思わぬ反発を食らってちょっと憮然とした哲だったが、対抗し得るネタがあるのか数日前に思いを馳せて、本格的に話す態勢。
それにしては冴えない表情が気にはかかる。
「あれ、前日にさぁ、曙町で一家四人無理心中の上家に火ィ点けたってゆー事件あったろ」
ぽつぽつと、語る言葉に勢いは、ない。
嫌ぁな予感が一同を襲った。
「で、あの日、そのうち2遺体は嬢が解剖したんだと。そんで遅くなって、俺が迎えに行ったワケよ。したら『焼き肉食いに行こうぜっ!』って・・・・」
この辺りで、“憧れの嬢”の人となりを痛いほど知る面々は、眉間に皺を寄せる。
「うわ。俺、話みえたかも知んねぇ」
「俺も・・・」
耳を塞ぎたそうな一同に構わず、哲は続けた。
「俺ぁ単純に喜んださ。それなのによぉ・・・嬢ときたら・・・・・」
一旦苦悩に途切れた言葉は、すぐに勢い良く流れ出す。
「皮下脂肪まで火が入ったら体組織の色は白っぽくなるとか、それ以上焼けると黒くなるとか、ガソリンなんか被って火ィ点けた時は服から出てる頭とか手足とかのが焼けやすいとか、耳とか鼻とか軟骨部分は火が入り易くて融けたみたいんなって陥没するとか、その表面が・・・」
「ぅわぁーーっ!わーわーわーっ!!」
「もういいっ。やめろー!!!」
阿鼻叫喚。
耳を塞いで叫ぶ面々。
「・・・そ?まだまだグロイ話、お裾分けできんのに・・・・・」
地獄をみて来た男は暗く笑う。
「・・・そんで遠慮なく食えって、ジュージュー肉焼いてくれてもさぁ・・・・。『ちょうど真皮に火が入りかけたくらい』とか『血が浮いて来て食べごろ』とか言われても・・・・」
息継ぎ。
「食えるわけねぇだろ!!俺は繊細なんだっ!」
決して繊細などという言葉が似合うご面相ではなかったが、黙って頷くだけで、誰も一言も否定はしなかった。
「・・・・お医者先生って、みんなあんなに“でりかしー”ねぇのかなぁ・・・」
「どーかねぇ・・・」
「いや、待て。デリカシーの問題か?嬢は分かってて面白がってたんじゃねぇのか・・・?」
「あぁ、それアリ、だな」
「嬢ってほら、いじめっ子体質だから」
「・・・鬼だ・・・」
「血の色緑・・・」
「流石、嬢」
「カッコイー・・・」
純粋な尊敬とはまったく異なるが、代わり映えのしない、いつもの結論。
冷静な第三者というものが存在すれば、『このマゾ集団が!』という突っ込みも入るのだろうが、残念ながらこの場には、すっかり汚染された人間しかいなかった。
「んで?今日は嬢、どうしてんだ?」
「『勉強すっから邪魔すんな』ってさ」
「・・・なんだよぉ。つまんねー」
「せっかく家に居んのになぁー」
「つーまーんーねー」
そして。
冒頭よりもダレた空気が、更なる濃度で満ちる。
さて。
舎弟たちをして“鬼”とまで言わしめたその人をこよなく愛する若頭は、同日午後9時ごろのご帰宅。
いつになく早く帰れたことに、機嫌は上々。
更に、お籠もり中とは言え当麻在宅の報告に、無表情な顔で実にご機嫌麗しく。
それは離れへ戻って、無人の書斎に行き当たってもあまり変わらなかった。
その部屋は、かつては二人の遊び部屋として大いに使われ、やがて勉強部屋へ昇格し、現在はなぜか(って、当麻の希望からに決まっているが)ソファー完備の書斎となっている。
そこに二つある机のうちで、常に雑然としている方が当麻のもの。
今も、コーヒーを飲んだと思しき大きな空のマグ(←表面ではシルクハット姿のムーミンパパがゆったりとパイプを燻らせている、当麻のお気に入りカップ)がありーの、こんもりと吸殻が盛られたシャーレ(←灰皿として使ってはいるが、なんど見直してもガラス製の、ソレの素性はシャーレ)がありーの。
挙句の果てに、赤字でハッキリ“持ち出し禁止”と書かれた分厚いファイルが積み重ねられている。
いったいどこからの“持ち出し禁止”なのか。
まさか、この部屋からではあるまい・・・・。とすると、既に禁は破られているのだ。明らかに。
征士はほんの少しだけ頭痛の前兆を感じる。が、あくまでほんの少しだけだ。彼も従弟の人となりは充分解っている。きっと斜に構えてニッと笑い、『俺以外は、“持ち出し禁止”v』とでも言うのだろう。そう。あの“オレ様”は、きっと言う。堂々と。
脳裏に浮かんだ魅力的な悪魔の笑みにしばし浸って、尚もその、先が尖った黒い尻尾の軌跡を追うように、征士は従弟の机に視線を戻した。
雑然とした中でも一段と存在感を主張して、でん、と置かれたパソコンのモニター。
背景は薄暗いが、その中で色とりどりに映える衣装の小人がわらわらと画面中央に集まって、不在の主人のためにせっせと論文を書いている。・・・らしい。
『朝起きたら、あ〜ら不思議。ちっとも進んでなかった論文が出来上がってるぅー!・・・とかゆーことって・・・ねーかな・・・・?』
靴屋じゃあるまいし・・・。ないない。断じて無い。有り得ねぇ。・・・という周囲の強い断言には全く耳を貸さず、当麻にしては珍しく真剣な表情で集中して作っていた、オレ様専用お手製スクリーンセーバーだ。
そんなモノを作る暇があるのなら、その時間と労力を論文書きに当てれば〜という征士の苦言も、『ダメ。今、気が乗らねーの』の一言であっさりかわし。
そして今また、息抜きと称して(←そうに違いない。と征士は確信している)どろん♪と消えている当麻の行き先など、征士には簡単に察しがつく。
当然だ。伊達に長く付き合ってはいない。アレのことは自分が一番良く分かっている、と自負している。
時たまちょっと自信の揺らぐこともあるが・・・。
それにしても。
小人が7人というのは、何か勘違いしているんじゃないのか、あいつは?
あらためて従弟の童話に関する記憶に懸念しながら、征士は着替えもせず、上着だけをソファーに投げて踵を返した。
征士は迷いのない足どりで階段を下りていく。
離れの半地下。
階段を下りきった先にある重い扉の向こうは、ほぼ多趣味当麻のためだけの部屋と言っても過言ではない、防音室になっている。
中には、学校の音楽室で見たようなバカデカイ黒いピアノ(←祖父購入)とステレオセット(←征士の父購入)。それから、壁面を埋める楽譜とジャンルを問わないミュージックCD(←当麻購入)。
世の中には医大生のみで構成されたオケも存在するし、あまつさえヘタな音大生オケより達者な演奏を聞かせたりするが、従弟もその類だと征士は思う。
昔から、邦楽・洋楽、ポップス・ロック・ジャズ・クラシックと、ピアノに編曲された物やピアノの小品ならパラパラと器用に弾いていた。
その細い十指が鍵盤の上をリズミカルに走ったり、時に艶やかに這うのを眺めるのは征士の趣味と言える・・・かもしれないが。
だが当麻が好んで聴く交響曲や合唱曲(←重厚な派手好みの傾向アリ)は、はっきり言って征士には分からない。
だいたい、(あぁ、どこかで聞いた・・・)と記憶にあればいい方で、ほとんど曲とタイトル・作曲者が一致しないのだ。
解らないモノは楽しめない。
当麻が弾くのでなければ面白くない。
できれば今日も、気分転換には音楽鑑賞よりも実際に弾いていて欲しいと思いながら。
征士が扉を押し開けた瞬間、室内からふわっと音が溢れ出してきた。
宗教色の濃い合唱曲。
やはりそこまでしか征士には分からないが。
どうやら今日は音楽鑑賞の気分だったらしい。残念ながら。
壁の間接照明しか点いていない薄暗い部屋の中、スピーカーとの位置を計算して置かれたソファーの背の上に、蒼い頭がかすかに見える。
邪魔をしないように、征士は静かに正面へ回り込んだ。
眠っているのか・・・?
そう思わせる程静物と化して。重力と摩擦の関係において辛うじてソファーに留まっている感じで、当麻は目を閉じていた。その頑なに閉じられた瞼が、解らない音楽以上に征士の疎外感を刺激する。
征士はじっと従弟の反応を窺いながら、そっと隣に座ってみた。
沈んだソファーに気付いたのだろう、ぴく、と当麻の瞼が震える。
ゆっくりと開かれた目が隣へ流れ、征士を認めてニッと笑った。
口角が上がっているのは勿論ながら、口元が見えていなくても笑ったことが判じられる目。
まさに、眼が、笑っている。
照明が少ない今は夜空の色をした瞳のなかで、星に例えるよりももう少し禍々しさのある光。
決して上品ではないけれど、それだけにいっそう惹きつけられる。
心地良さに、征士は思わず目を細めた。
その顎の横を、ゆるく固められた当麻の拳が撫でるように小突いていく。
『よぉ。(おかえり)』というところか。
言葉にしては、何もなし。
すぐにまた目を閉じて、微睡んでいるのか考え事でもしているのか、一人の世界に戻っていくのもいつものこと。
隣に座った征士のことなど、いつも座椅子の背もたれくらいに思っているくせに、この部屋では背もたれにもしてもらえない。
少々物足りなさを感じる征士だった。
部屋の中に淡々と満ちる音の羅列は、相変わらず征士には意味不明だ。
楽章、とでも言うのだろうか。1〜3分くらいの小曲が始まっては終わり、また始まっては終わる。ドイツ語かと思えば、明らかにそれとは違う、ラテン語のような歌詞もあり。ユニゾンのミサ曲っぽいかと思えば、それにしては砕けすぎた感のある明るい曲もあり、詩的な独唱もある。
あまりのちんぷんかんぷんさに、普通、この辺りで(と言うか、とっくの昔に)『何やってんだろう、自分・・・?』と我に返って虚しく反省するところだが、流石に若頭は違った。
そもそも、この部屋へ来た目的が違う。
ワケの解らない音楽などなんのその(と言うより、たぶん彼にはあまり関係ない)、彼は彼でソファーへ寛ぎ、隣でたら〜っと弛緩している従弟を和らいだ目で眺めていた。飽きもせず。
そうこうしているうちに、BGMと化した曲はオケの低音が目立ち始め、トライアングル(・・・なのか?)の音が立て続けに鳴らされて、佳境の雰囲気を醸し出し始めた。
と思ったら、はっきりと聞き覚えのある楽章が鳴り始める。
重い太鼓が刻む明瞭なリズムとシンバルの音、1音1音区切るような合唱が特徴的な、オドロオドロシイ印象のこの曲は・・・・・『オーメン』のテーマ・・・?
・・・とすると・・・。
記憶ここに至って、『これはね、すげぇ簡潔で静的な構成理念が面白ぇの。弁証法の否定っつーか、拒否っつーか・・・、まぁ、それによって甘さがなくなってるとこがイイわけ。』という、どうでも良さそうな当麻の薀蓄は思い出せても、タイトルは相変わらず・・・という所に、征士の姿勢が顕著に表れていると言えるだろう。
大団円に盛り上がった最後の一音と共に、征士の脳裏からダミアンの影も消えて、たっぷり一拍。
やっと動いたと思ったら、当麻はやけに奔放に、ジャパニーズクラシカルなプリントの、早い話が緋牡丹と獅子の踊った長袖Tシャツに包まれた腕を伸ばして伸びをした。
筋肉はついている。ついてはいるが、どうも征士とは筋繊維の性質もつき方も明らかに違う、しなやかに細い腕が顎を掠めて、征士は思わず顔を仰け反らせた。
「今日はちょっと早く帰れたんだな」
う〜ん、と伸び上がった続きでずるずるもたれ掛かってきた当麻の重みを、征士は右肩で(内心)嬉々として受け止める。
「珍しくねぇ?」
「あぁ。久し振りだ」
応えながら、右手が迷って動きを躊躇った。素直に、触れたいように触れて良いものかどうか。
「せっかく早いんだから、チャッチャと風呂入って寝ちゃえば?」
もたれた肩口に頬を擦りつけるように身じろいで、上目遣いに見上げてくるのは可愛いが、微妙に突き放したような言い様は可愛くない。と征士は目を眇める。
「お前は寝ないのか」
「俺はぁ、まだオベンキョー。」
へろりん、とした応え。
それでも、無言のうちに振り撒かれた『なぜ自分が帰るまでに終わらせていない?』という圧迫感を伴った空気は読み取ったのか、流石のオレ様も言葉を継いだ。
「・・・サボってたワケじゃねぇぞ」
「ほぅ・・・」
現に今サボってただろうとは、敢えて言わない若頭。
「宿題はやったんだけど、勉強はまだ途中。・・・っつーか、当分終わんねぇな・・・・」
当麻語では、宿題と言えば次の日の講義の準備。勉強と言えば自分の論文を指す。
「まぁほら、千里の道も一歩からって言うし?今日、もう少しやってから寝るわ、俺」
あまりに似合わない言葉に征士が気を取られているうちに、当麻はその腕からするりと抜け出して立ち上がった。
「どうする?お前、まだここ居る?」
屈託無く訊かれた征士は一瞬呆然とし、次いで少し哀しくなり、次にムッと眉を顰めた。
「一人でか?・・・冗談だろう」
当麻が居ないこの部屋で、征士にいったい何をしろと言うのか。
従兄が音楽鑑賞自体にまったく興を覚えない人間だというのは、当麻も分かりきっている。分かっていて言ってみた問いに返った答えが予想通りだったのだろう。当麻は機嫌よく笑って征士に手を差し出した。あまり虐めすぎても、と思ったのかどうなのか、征士が哀しくなり過ぎる前にソファーから引っ張りあげてくれた。
征士も、せっかく机へ向かう気になっている当麻を妨げる気は無い。
・・・無い、が。
やっと早く帰れた日くらい自分につき合って欲しいと、思ってしまうのもまた事実だった。
もういい大人なので、ムリに自分につき合わせるべく我を通すワケにもいかず。さりとて枯れて悟りを開くほど老成してもいないので、恋人(だろう?)を目の前にすれば是非お願いしたくもあり。
極めて複雑な心境で、従弟に続いて部屋を後にする若頭だった。
「んあー?・・・なぁんで寝られる時に寝とかねぇの、お前は?」
パソコンの前に座ったまま、当麻はいかにも呆れたと言いたげな声を上げた。睡眠をこよなく愛する当麻のこと。眠って良い状況で敢えて寝ないというのが信じられないのだろう。
書斎の戸口には、“目を通してもらいたい資料”を手にした征士の側近が立っている。
当麻の目を盗んで、寝室から内線ででも呼びつけたのだろう。征士が風呂から上がってくるのを見計らったようにタイミング良く現れたのだった。
「沢木。それ、急ぎなのかよ?」
「・・・・は・・・・・・」
先に独りで眠る気になれない若頭が、従弟を待つつもりで時間つぶしのために持って来させた書類である。急ぎな訳がない。
戸口の男は YES とも NO とも答えかねて、返事にならない声を返すのみ。
目顔で労いつつ無言で資料を受け取った若頭が助け舟を出してくれる筈もなく。
シラーッと流された蒼い目には、『お前もなぁ、言われたからってホイホイ持って来てんじゃねぇよ!』と非難され。
身の置き所の無さをしばらくじっくり味わった後に、「まぁ、ガキじゃねぇんだからスキにすりゃいーけど・・・」という当麻の諦めたような言葉でやっと退出のきっかけを掴んだ沢木は、若を怒らせるのは論外ながら嬢の冷たい目も充分心臓に悪いと、認識を新たに離れを後にして行った。
部屋には間断なく続くキーボードを打つ音と、時折紙を捲る音だけ。
時間は緩やかに穏やかに過ぎていった。
ふと、右手をキーボードから離して当麻が煙草を引き寄せる。
「・・・あれ・・・・」
その緑が目立つパッケージの非情な軽さに思わず呟いて、むぅっと唇を尖らせたかと思うと、クシャッと右手を握り締めた。
「ワリィ、征士。タバコ切れちった」
お願いのニュアンスさえ感じさせない、みごとな要求を振り返りもせず口にして、コンパクトにひしゃげたマルボロメンソールを屑篭へシュート。
「このさい、メンソールじゃなくても許す。」
「・・・・・・・」
当麻がオレ様なのはいつもの事なので、『まだ言うか!』と突っ込まれないのは不思議でもなんでもないが。
「???」
ご所望の煙草が飛んでくるでもなく、あまりに静まり返った背後が流石に訝しく、当麻はここでようやくソファーを振り返って、軽く目を瞠った。
(寝てやがる・・・!)
ふぇ・・・! と声には出さず、唇の動きだけで驚きを表して、毒気を抜かれた顔つきで立ち上がった当麻は、そっと従兄が眠るソファーへ歩み寄った。
ジーンズのベルト通しに両手の親指を引っ掛けて肩を張らせた立ち姿で、じぃっと、ゆったり長々と伸びる従兄を見下ろして、一言。
「・・・寝コケル美人・・・」
捻りのないそのまんまな呟きを落として、その場へしゃがみ込む。
その格好は、まるで田舎のコンビニ前にたむろしている若者のようだが、見つけたアリの巣を観察する子供のように嬉々とした表情で、征士の顔を観察し始めた。
確かにメンクイ当麻御用達の、鑑賞する価値のある顔ではある。
しばらくして、ようやく身じろいだ当麻は、んしょんしょ、とカニのように左へずれて、征士の腹の上から資料の束をそっと除けてやった。
その動作は表情から察するに、重かろうという思いやりからと言うよりは、悪戯の範疇であるように見えた。
さしずめ、(起きるか?・・・・いや、やっぱまだ起きねぇ!)というところか。
次に征士のパジャマの腹を捲って覗き込み、(気に入らねー)と言いたげに顔を顰める。
(こいつ・・・。これだけ忙しいのにいつ鍛えてんだろ?)
隆々とした付き方では決してないが、綺麗に割れた腹部の筋肉がお気に召さなかったらしい。
ちらっと自らの腹部に目を落しはしたが、あえて現物比較はせずに捲ったパジャマを元に戻す。
征士はまだ目を覚まさない。
あれ・・・と、ちょっと意外そうな表情で、当麻は改めて従兄の顔を眺めた。
征士の眠りは本来、職業病なのか非情に浅い。
当麻とは違って、眠っていても人の気配には敏感なのだ。
それなのに、この状況。
当麻と二人きりの離れだということもあるだろうが、それにしても。
(やっぱ疲れてんじゃん。バカ征士ぃ・・・)
胸のうちで毒づいて、美人の額へ素直に落ちかかった、洗って乾かしただけの金髪を、優しさにも似た手つきでゆっくりと掻き揚げてやる。
地肌を撫でるように、ゆっくりと。
しょーがねぇな、と苦笑した顔が一瞬陰ったように見えたのは、光の加減だったのかも知れない。
目を眇めて人の悪い笑みを浮かべた時には、しなやかな右手は再び従兄の顔の前。ふるふると、小さく震えるほど力を溜めて。手の甲は、ピン、と張り詰めている。
バチンッ、という額に感じた衝撃に驚いて、征士は目を覚ました。
と言っても、ビクンッと震えることも無く、いたって静かに瞼を上げただけだったが。
当麻がニヤニヤと笑っている。
若頭の白皙の額にデコピンをかませるのは、彼しかいない。
「カンペキ寝てたゾ」
悪ガキのような光を放つ魅力的な目は、「起きてたなんて、言わせねぇ。」と言っている。
「・・・・・・・」
完敗である。
仕方が無いとは思いながら、それでも感じる悔しさに、従弟を引っ張り寄せてみた。
「危ないって・・・。寝惚けてんのか?」
勢い征士の上に倒れこみそうになった痩身を、腕を突っ張らせて支えて。
「・・・独りで寝んのが寂しいんなら、貸すけど?クマ」
ふふん、と意地悪そうに笑いながら、当麻は実に愉しそうに征士をからかう。
「・・・・いらん。」
眉間に皺を寄せて、押し売られそうになった小さな親切(大きなお世話)を断わった瞬間、征士の今日は幕が降ろされた。
その脳裏で脱力感を誘う電子音が鳴り響いたかどうかは定かでないが。
明らかに、善戦空しく討ち死。
【 GAME OVER 】
再戦を誓って今度こそ、本当に寝室へ引き上げる若頭の後姿は、それでも充分に格好良く。
そこから気落ちを見出せるのは、「おやすみ〜♪」と満面の笑みで手を振って見送る彼の従弟だけだった。