this page is...novel暗闇をふんだんに孕んだ郊外からやっと戻れても、たくさんの明かりが灯ってはいても、この街はあまり俺をほっとさせてくれない。この、超怖がりな俺を。無条件で安心させる筈の明かりなのに。暖かみが足りないような気がするんだよな。ローマの方が絶対暖かい。こんな時間じゃもう明かりは少ないだろうけど、フィレンツェだってもっと暖かいと思う。
クラシックな石畳も、見惚れるような建築物も、泰然としてある遺跡も、豪華な教会も、この国にはどこにでもある。それはこのミラノも変わらないはずなのに。
単純に街灯の色味のせいなのか、俺の気分のせいなのか。
国際的にも有名なモードの発信地であり、国内経済の中心地でもある、いわゆる“都会”なこの街が、俺はあんまり好きじゃない。・・・かも知れない。
少なくとも、今は。
ヤツ当たり?
・・・どうだろう・・・。
車窓を過ぎっていく街並みが、まだ灯っているショーウインドーの明かりに冷たく映った。歩道の石畳なんか、まるで濡れたように光っている。
馴染みのモンテ・ナポレオーネ通りを抜けて北上すると、間もなくホテルへご到着、と。
人間、なんだかんだ言っても結構気持ちを伏せて行動できるものなんだなぁと、他人事のように考える。
というか、自分にここまでできるとは思わなかった。俺も大人になったもんだ。
思いながら、全然違う事だって言えてしまう。
「あー幸せ。腹いっぱーい」
ポイポイッと靴を脱ぎ散らかしても、粗雑な音は毛足の長い絨毯に吸収される。素足でそのくすぐったさを堪能しつつ、脱力モードで(なげやりモードともいう)優雅なインテリアに彩られた色鮮やかな居間を突っ切って、奥に続く、優しく光量の落とされた寝室へ。ゴールはキレイに整えられたベッド。「とぅっ」と、掛け声と一緒に不埒にもダイブ。
「しっかし旨かったよなー」
後に続いて部屋へ入って来た伸は、俺が脱ぎ飛ばした靴を拾っている。
「やっぱここ、城壁の外まで行かないと旨い店ってないんじゃねーの?」
「なくはないんだろうけど、確かに少ないよね」
伸は俺の乱暴な言い方に苦笑して、ツインの、もう一方のベッドに座った。
あれが伝統的な本来の地中海式料理らしいよ?と薀蓄を授けてくださるのに、挨拶に来た料理長の口振りを思い出して、そういえば“古き良き
「バターや生クリームの脂を控えてるし素材にも拘って魚や豆類がよく使われるから、業界じゃ特に人気があるんだよ」
「へぇー・・・そうなの」
カロリーカットにあまり関心がない俺は気のない返事。だって。必要を感じないから。(あぁ!刺さないで・・・)
「でも、あのパスタ、旨かったなぁ・・・。何だったっけ?」
「“臼で挽いた小麦粉で作ったタリオリーニの海の幸と野菜和え”」
「あぁ、それそれ」
それってどうなの?という位長い料理名に調子よく頷く俺を見る伸の目が、笑顔の中でそこだけシリアスなのは見なくても分かる。何か言いたそうなその目は、ついさっきまで皺ひとつなかったベッドをだいなしにしている俺を責めている訳ではなく。数時間前、衣装合わせだショーのゲネプロだと延々続いた流れで誘われた食事を俺が断わらなかった時も、同じ眼差しで俺を見ていた。
分かってる。いくらデザイナーからの誘いでも、断わって早々にホテルへ帰っても構わないんだと言いたかったんだろう。分かってたけど、伸の顔は見ないフリで、片道車で40分という大袈裟な夕食に、笑って付き合ったのだった。そりゃ、ちょっとは思ったけど。早くホテルの部屋に戻りたいって。
疲れてもいたけど、帰りたかったのはそのせいじゃなくて。
ベッドサイドには華奢なネコ足でちょっとチッペンデール風のチェスト。引き出しの中にはたぶん聖書と、もしかしたらコーランも入ってるんだろう。わざわざ確認なんてしてないけど。その艶やかな天板の上、これまたデコラティブなスタンドの柔らかな明かりの中に、これだけは如何ともし難かったのか、モダンにスタイリッシュな電話機が慎ましく鎮座している。
口に出しては一言も言ってないのに、伸は分かってるんだな。俺が電話を待ってるんだって。
もう2週間くらい、声も聞いてない。
全然連絡がないなら諦めもつくものを・・・。
すれ違ってばっかのこの状況は、いったい・・・ナニ?
俺も征士もケータイ持ってんのに、お互い固定電話にしかかけないのがそもそもの原因だと思う。国内でもそうだけど、俺は一度も仕事に出かけた征士の携帯に電話したことがない。メールはするけど。だって、相手の状況が見えないから。しかも俺には征士の・・・というより、一般会社員の仕事すら想像がつかない。知らないんだ。そういう世界を。だから電話することでどんな邪魔をしてしまうかと思ったら、怖くてかけられないんだった。・・・メールは都合のいい時に読んで貰えるからいいかなって‥・・・自信ないけど。そして征士の場合、国内では俺の仕事状況をかなり伸から聞いているらしく、そこそこ俺のケータイに連絡をくれる。でも俺が海外に出ちゃうと、いっそ見事なほど全ての連絡が固定電話───ホテルへの電話になって・・・この状況。ついてなければ、せっかく電話を貰っても俺がホテルへ戻ってなくて、後から聞いて折り返し家へ電話をかけても留守電が応答する。どうやら征士は出先から電話をくれてたらしい、と。すれ違い続けて2週間。まさにこの状況。ぐるぐるイライラしてる俺。だったら食事のお誘いなんか蹴って、さっさと部屋で電話を待てばいいじゃん?と、俺だって思わないでもないんだけど。でもそんな、素直に可愛く女々しいことなんてしたくない。なんかヤだ。そうでなくてもこんなに悩まされてんのに。思考がこれだけ拘束されて、そのうえ行動まで拘束されるなんて業腹じゃないか。・・・って、俺のバカ。ぐるぐるしてないで、さっさと征士のケータイへ電話すればいいんだ。簡単なこと。そうすりゃ久し振りに俺好みの声も聞けて、あーすっきり、ハッピーな気分になれるのさ。なんでそうしない?・・・どうしてできない?・・・どうしても、だめなのねぇ〜・・・。
この葛藤。
エリーでもいたら、気も紛れてだいぶ違うのに。あのキティは日本で留守番・・・してる筈。征士は仕事があるから、俺の事務所に預けてきた。あそこなら、常に誰か彼かはいるからチビも淋しくないだろう。今頃は、薄情に俺の事なんか忘れて、ウチの奴らに愛想振り撒いてるかも知んないな。
あ・・・やべ・・・いっそう淋しくなってきた。
なぁんていう、あれもそれも含めて、伸は全てお見通しなのだった。そういう目をしてる。
ふかふかの枕に頬を埋めていると、いつの間にか貼り付けてあった笑顔が剥がれてくる。深く吸った息を吐いたら、図らずも拗ねたような吐息になった。鏡を見なくても分かる。俺のツラは今、“不機嫌”の三文字を体現していることだろう。目なんて、どっかり座って茶でも飲んでるに違いない。
もう、繕う気力もない・・・。
「当麻、シャワーは?」
「んー・・・」
柔らかい声に一応返事しながらも、起き上がれない。なんだか底なしに億劫で、このまま寝てやろうかという気にもなる。
「寝るんなら着替えないと」
お前はエスパーか!?と言いたいくらい絶妙な伸のお言葉に目を眇めたちょうどその時、唐突にベルが鳴った。
俺だけじゃなく、たぶん伸も一瞬固まったと思う。
慌てて伸の顔を見上げたら、思いの外強い視線にぶつかった。その目がふっと意味ありげに笑う。君の電話だ、と。
「バスルーム、先使うよ」
言いながら立ち上がって、背中ごしに手を振って、伸は寝室を出て行った。
「
ちょっと過ぎた俺の勢いにたじろぐ様子もなく、長逗留で既に顔見知りの初老のフロントマンは、落ち着いた声で日本からの電話だと告げて。最後に一言、さらりと付け加えた。よかったですね、と。
「・・・
お繋ぎします、で回線が切り替わり、暫しの間がじれったい。
何から話そう?話したいことはいっぱいある。
ケータイに電話くれれば良かったのにって? ・・・言いたいけど、でもそれは、お互いサマだし・・・。
とりあえず、やっと話せて嬉しいって、言わなきゃ。
とかなんとか、数瞬の内に色々考えたのに、全てを無駄にしようとは・・・流石の俺でも思いつかなかった。
「・・・当麻・・・?」
いろんな意味で『あぁ、この声・・・』と思わせられる低音で呼ばれた瞬間、俺の脳のシナプスは異常な電気信号の来襲によって焼き切れたらしく。
「・・・・・うん・・・」
情けなくも言語障害に陥っていたのだった。この脳内の混乱をつぶさに見ることが出来たなら、伸なんかは『処置なし・・・』と肩を竦めて手のひらを見せてくれただろう。
とはいえ、俺も初恋に恥らう純心な乙女じゃあるまいし、多少言葉なんか足りなくてもそれなりの会話は成り立つ。
忙しくて疲れてんじゃないのかと振った話から、征士と、それからエリーの近況が聞けた。
どうも征士は、あんまり家に帰ってないらしい。家に電話しても捉まらないわけだ。三日に一度くらいしか帰宅せずに、それ以外は会社の“自分の部屋”───社長室の奥にある仮眠室みたいな部屋───で寝泊りしてるそうだ。しかも、俺がウチの事務所に預けてきたエリーを早々に引き取ってきたとか。本人の言によると、一人で家にいてもツマラナイから、俺が帰るまでは作ってでも仕事を詰め込んで、合間にエリーと傷を舐め合っている、とのこと。いったい何のキズなんだ・・・。呆れた。
3人(2人と1匹)でいる時にはどうしても俺にべったりな仔猫が、征士と2人(1人と1匹)きりだとちゃんと征士に甘えているのかと思うと、可笑しいけどほっとする。
深夜にやっと仕事から離れて、部屋で胡坐なんかかいたりして、膝にちょこんとエリーを載せている。そんな征士の背中が思い浮かんで、微笑ましいような、ちょっと痛いような、変な気持ちになった。
「当麻・・・・、逢いたい・・・・・」
甘い、というより、もっと切実な、深い深いため息のような声。
「うん・・・。俺も・・・」
妙に素直な気持ちで答えながら、改めて気づく。
電話がすれ違ってイライラしていたのは、話せなかったから、だけじゃない。それだけじゃなくて、俺もすごく、征士に逢いたいと思ってたからだ。
「早く帰って来い・・・」
言葉面だけは命令形の、とても頼りない懇願するような声だった。
初めて聞いた。征士のこんな声。
どうしよう。
何か得体の知れないモノが、俺の肺を圧迫する。
ショーモデルは、俺が好きでしている俺の仕事で、今はまだ戻れるわけがない。そんなこと、征士も俺もよく分かってる。分かっていて、それでも口にした恋人の気持ちもよく分かって、申し訳ないような気もして。
「──────うん・・・・・」
声が震えないように極力努力しながら(でも、やっぱり震えたかも)、一言だけ言うのが精一杯だった。それ以上何か言うと、泣いてしまいそうで。
たぶん、俺が泣きそうだった(───と言うか、もう半分泣いてた)のは征士にバレバレだったろうと思う。『すまん・・・』とか何とか謝って、彼も早々に切り上げたから。
受話器を戻して、ベッドに突っ伏して、もう隠さなくても良くなったとたん、何年ぶりだろう、俺は声を上げて泣いた。子供のようにしゃくり上げて、嗚咽が漏れていくのを止められない。
何やってんだか・・・・・。
でもそのうちに、なんでだか、だんだん腹が立ってきた。
なんで俺こんなに、泣かなきゃいけねーの・・・?
『帰って来い』なんて・・・、あんな弱々しい声で・・・・・
反則じゃないかぁ!
征士のバカッ!!
fin.
novel