this page is...novel車窓から見る六本木の街のネオンは、さっきまで自分もその中にいたとは思えないほど、征士の目にはニセモノめいて映った。
何と言うか、リアルさがないのだ。
今までいた場所のせいかもしれない。
横の関係というか、縦の関係というか。
あの人も、世間では大物だとか重鎮だとか言われてはいる。
確かに人も悪くはないのだが、やることが一々ヤラシイのだ。
もう業界も長い御年輩なので仕方がないかとも思うが。
最近付き合いが悪かった自覚もあり、呼ばれて(誘われて?というには些か強引だった)出向いてくると、連れて行かれたのが、またある意味ヤラシイ店だった。
しかし、そういうヤラシサにいいかげん慣れつつある自分も怖い。
そう、今思うとあの空間はやっぱり奇態に思える。
なんとも正統なバニーガールが行き交う会員制のクラブだったのだから。
退廃的と表現しても、嘘ではないだろう。
ふと、当麻に話したらウケルだろうかなどと考える。
その当麻は、数日前からヨーロッパへ行っていた。
「二週間くらいで一旦戻るけど」
彼のセリフを思い出す。
一旦戻るけど・・・すぐにとんぼ返りかと、あえて当麻が言わなかった言葉を勝手に思い浮かべて早々に気落ちした記憶がある。コレクションシーズンは、ミラノ・パリ・ロンドンと、延々続くのは分かっていた。
「あ、使っててくれていいからな、ここ」
「・・・・冷蔵庫の中身の整理くらいは引き受けてもいいが、お前がいないのにここでどうしろと言うんだ」
言った瞬間の、当麻の表情の無さが目に焼きついている。
あまりに意外なことを聞いて反応し切れなかったとでもいうような、あの顔。
「そう・・・?」
すぐに伏せられた、あの顔。
「高杉、どこかその辺りで止めてくれ」
つくりものめいた街のネオンが、それでも記憶と重なるような気がして、征士は社用車の運転席に声をかけた。
車を路肩に寄せて、不思議そうに後部座席を振り返る秘書へ、もう既にドアへ手をかけながら訳を明かす。
「ここでいい。飲み直して帰るから。遅くまで悪かったな」
「帰りはどうされるんですか?」
「タクシーでも拾うさ」
よく気の回る、多少心配性な男はやっと了解、と肯いた。
「明日は?社長のシーマは社に置いたままですが・・・」
「あぁ・・・」
電車で通勤・・・と想像して、いやーな気分になってしまう征士だった。
車での移動に慣れた身に、あの満員電車は甚だ厳しいものがある。
征士の眉間の皺に心中を読んで、秘書はクスクスと笑ってしまった。
彼の唯一の上司は、極めて整った容姿をしている。
が、その整い方が半端でなく、仕事にも厳しいので、周囲からは近寄りがたいと思われがちなのだ。
ちょっと、表情が乏しいとか、ちょっと、眼光が鋭いとかいうことも、理由のうちなのだろう。
確かに、明度の乏しい、ダークな色味のスーツを着ている時などは、どこの組幹部かと思うほどの威圧感だ。(威厳は充分“組長”で通るが、如何せん若すぎるので“幹部”らしい。とは、秘書室での“親しみの篭った”談話より)
しかし幸か不幸か、秘書室長が社長を敬遠することはできない。
近寄りがたいとは言っていられない環境のせいで、かなり上司の表情から考えが読み取れるようになった。
そして、実際そう怖い人ではなかったのだが、更にここ数ヶ月はその読心術も容易なのだ。
気づいている人間がどれだけいるかは定かでないが、高杉の技術向上というより、注意して見ていれば誰でも理解できるようになったと言うべきなのだろう。
表情が、ある。
「朝、車まわしましょう」
「・・・すまん、頼めるか?」
決して高圧的などではなく。
逆に気遣いさえ見せる。
これが自分の唯一の上司なのだと思うと、なんとも言えず良い気分になる。
高杉は笑んではっきりと肯いて見せた。
「マンションの方で?」
「あぁ」
人目を惹く姿が後部ドアから降り立つ。
「おやすみなさい」
「気をつけてな」
ドアが閉まる直前に渡された言葉に、高杉は柔らかな笑みを深めた。
そういえば、数ヶ月前まで『気をつけて』という言葉を自分で使ったことはなかったと、征士は歩き出しながら考えた。
さて、言われたことはあったかと、記憶を辿る。
彼に言われる前に。
『気をつけて』
という言葉に衝撃を受けたのは、彼に言われた時だった。
過去、どうだったかなど覚えてもいないが。
日付も変わった真夜中、明け方にはまだ時間があったと思う。
当麻の家の玄関で。
平日だった。次の日の仕事のせいで、泊まる訳にはいかず、さりとて帰りたくもなく。
仕事じゃ仕方ないなと、目を伏せて笑った彼が、玄関まで見送ってくれた。
『気をつけて』
今も耳に残っている。あの響き。
大げさでなく、征士には衝撃的だった。
嬉しかったのだろうか?
確かに、瞬間、浮き上がった気持ちは嬉しさだったかもしれない。
でもすぐに、哀しいような、淋しいような、優しい気持ちにさせられた。
その時の気持ちを表現する言葉を、征士は持ち合わせていなかった。
凄い言葉を使うと、思った。
初めて当麻と会ったバーのカウンターに座って、いつも彼といる時には吸わない煙草を吸い付けた。
チェーンスモーカーとまではいかないが、会社にいるとついつい本数が増える。
まぁ、そこそこヘビーな方だと思っていた。
なのに。
当麻といて、ある時ふっと思ったのだ。
そういえば、吸っていない、と。
彼の家に灰皿がなかったのにも、それまで気づいていなかった。
実際かなり、イカレテいる。
人に言われずとも自覚している。
・・・・・つもりだ。
しかし、煙草の件は好都合だった。
当麻はあまり丈夫な性質でなく、特に循環器系が強くない。
用心のためか、当麻本人は一切煙草を吸わないのだ。
だから吸ってくれるなと言われた訳では全くないのだが、これからも一緒の場所で喫煙するつもりはなかった。
酒は飲んでも。
ちょっと飲みすぎの感はあるが。
しかし当麻は何だかんだと毎日飲んでいる。
少しは止めた方が良いかとも思うのだが、あまりに楽しそうに飲むのでついつい引きずられてしまうのだ。
さて、次に一緒に飲めるのは、いつなのか・・・。
とりとめのないようでいて、そのくせどうも、思考が一ヶ所へ帰結している。
仕方がない。
どうにも仕様がないのだ。
先日、自他共に認める当麻の保護者なる人物に会った。
モデル THOMA のマネージャーであり、所属するエージェントの社長でもあるその人物は、毛利伸と名乗った。
話がしたいと連絡を貰った時には正直かなり驚いた征士だったが、思わず力の入った熱心さで、こちらこそぜひ会いたいと答えていた。
何が自分を駆り立てたのか。
征士は改めて考えてみる。
なんと言っても、相手は当麻のバックヤードの一端(それ以上か?)を握る人物だ。
THOMA のいわゆる“そういう相手”の一人では?と言われていることも知っている。
ただ、傍で見ていればその線は有り得ないことも解っているが。
それにしても、普段から彼がとても親しげに気安く呼んで、何かと頼りにしていることは間違いない。
悔しいけれど───この気持ちも随分久し振りだ───当麻の一番身近にいるのは、どう考えても自分ではなく彼なのだと思う。
それはもう、如何ともしがたい事実で。
彼は自分とは比べ物にならないほど、THOMA の、否、当麻の情報を持っているだろう。確実に。
その彼に会えば、当麻に関して今以上に何かしらの情報が引き出せるのでは、という思いも確かにあった。
例えば、夜中夢にうなされた当麻が辛そうに呼ぶ名前のわけだとか。
どうやらそっちも仕事らしいと思われる、SSLサーバまで据えられて、征士には理解不能な資料で溢れかえった一室のカラクリだとか。
でも、それ以上に。
掬っても掬っても指の間から零れ落ちてしまう水のような、数歩先で立ち止まってじっと征士を見ているくせに、捉まえようとするとスルリと逃げてしまう当麻を捉まえるための何かを。
アドバイスとまでは欲張らないが、ヒントというか、取っ掛かりというか。
ほんの小さなきっかけでも良い、その何かを得たいの思ったのだ。
彼から。
「確かに、アレにとって君はトクベツなんだろうと思うよ」
噂の数程ではないけれど一人二人でもなかった“そういう相手”に、当麻が実際合鍵まで渡したのは初めてだと、彼は大して面白くもなさそうに言った。
「君がもし本気で、それなりの覚悟もあるんなら、壁を破るくらいは頑張ってもらわないと」
作りだけは優しそうな顔をニヤリと意地悪く歪めて、じっと視線を当てられた。
その目が雄弁にモノを言う。
中途半端な気持ちならこれ以上近づくなと。
少しでもキズつけてみろ───絶対に許さないと。
「あ、誤解しないで欲しいんだけど。君を応援してる訳じゃないからね、僕は」
ケッタクソ悪い───と続けたかったのかも知れない。
保護者殿は、イイ性格をしていた。
キョーレツだな・・・と少し押され気味に思いながら、征士は少しも不快ではなかった。
寧ろ気が合うかも知れないと、好感すら持った程だ。
征士も、伸の言う“アレ”をキズつけたくなどない。
あの人が大切だという一点において、彼と自分は同類なのだ。
その一点が、征士の中で今や苦しいほど肥大している。
どんどん、どんどん膨れ上がって溢れ出して来た物は、決して美しい物ではなく。
征士は自覚する。
伸との違いを。
自分は伸のように───保護者になりたい訳じゃない。
所有したい。
自分のものにしたいのだと。
彼を。
JRの駅もほど近いスクランブル交差点。
征士は信号待ちで立ち止まった。
立ち並ぶビルの上に、見慣れた大看板がライトアップされている。
某メーカーが出したMDウォークマンの広告。
真っ白いシーツの中で、毛糸玉のような仔猫に鼻の頭をペロリとやられたのだろう。THOMA は驚いてその蒼い瞳を見開いていた。
『 Listen to Love ! 』
とは、なんとも皮肉に映るコピー。
しばし見上げて、夜の冷えた空気を深く吸い込む。
何か上手い方法を得たわけでもないけれど。
零れそうな澄んだ蒼に誓って、征士は力強く、人の流れ出した交差点へ足を踏み出した。