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Longer than forever 7

Longer than forever 7

物の輪郭も曖昧になるほど煌々と明るい洗面台の前。当麻は気分よく、鼻歌まじりに、濡れて色味を増した頭を無雑作にがしがしと拭いていた。
寝室から続きのシャワールーム。
広めのバスにゆっくり浸かるのもいいけれど、まだ寒くはないし。一人だとこれで充分だなと思う。
ふんふんふーん。
・・・・・ん?
歌と同時に手も止めて、耳を澄ますと。
はいはーい。
小さく聞こえた電話のベルへ甲斐のない返事をしながら、バスローブの裾を蹴って踵を返した。

『私だ』
受話器から聞こえた相手の声に、当麻のご機嫌ベクトルは確実にまた少し上昇した。
『帰ってたんだな・・・』
「うん。今日戻った。4日間だけだけど」
『そうか。・・・・・今から行ってもいいか?』
今更だ。付き合い初めの頃でも訊かれたことがないような言葉に、くすりと笑ってしまう。
「いいよ?いつもそんなこと訊かずに来るじゃないか」
『あぁ・・・そうだな』
照れているのか、電話の向こうでも静かに笑う気配がする。
『何か買って行くか?』
まともな食事をする時間ではないけれど、痩せの大食いを征士が気遣うのはいつものこと。
「んー、そうねぇ・・・。今どこ?」
『実はかなり近くまで来ている』
あれ・・・?
時間も時間だし、無理な買い物を頼んでもと思ったのだが、それにしても意外な返事だった。
“帰ってたんだな”とか“行っていいか?”の延長線にはない答え。
「じゃーねぇ、駅前通りのケンチキ食いたい。俺、今風呂から出たとこだったんだ。ビールにチキン。どぉ?」
引っ掛かる違和感を伏せた能天気な提案はすんなりと受け入れられるが。
なんだろ?
受話器を置いてもスッキリしない。
ま、すぐ来るか。
何の根拠もなく、でも会えば解る気がして、当麻はまたヘタな鼻歌を歌いながら髪を乾かしに戻った。


はむっ。
と香辛料が効いた濃い目の味のチキンに齧りついた瞬間、話を聞いてしまってからというのがナンだが(自分でもズルイ気がする・・・)“やっぱりそうか”と思ってしまった当麻である。
どうも、ここ最近の征士の態度が、当麻に対して納得してなさそう、というか、腑に落ちてなさそう、というか、何か言いたそう、というか。
とにかく不穏な感じだった。確かに。
そろそろ言い出されるんじゃないかと、恐れていたような気がする。
なるべく考えないようにしていたから、はっきりしないけれど。
ああ・・・とうとう・・・と、正直頭を抱えたい感じだ。

もちろん当麻も、言われて全く嬉しくない訳ではない。
伸から『へぇ・・・?』と感心したような言葉と一緒に意味ありげな視線を貰いながらも、この状況になるまでブレーキをかけられなかった程、目の前に座る人間に傾倒していた自覚はある。
傾倒って────。
もしかしてもしかすると、そんな冷静なモンじゃなかったのかも。
ひっそりと自嘲ぎみに反省。
でも、だめ。
もうだめ。
ここまでにしないと。

ゆっくりと咀嚼したチキンと共に何か冷たい塊も飲み込んで、当麻は顔を上げる。
小首を傾げて上目遣いに。
口角は笑みの形に上げて。
その表情は実際、楽しそうに笑んで見えた。
「なんか・・・プロポーズみたいだな」
「正にその通りの意味だと思ってもらってかまわん」
可笑しそうな当麻と真剣な征士。
「俺、男だけど?」
「それは何度も教わったから良く分かっている」
どこでどう教わったというのか・・・。
今日はしかつめらしく真剣なばかりかと思った征士にニヤッと人の悪い笑みを向けられて、当麻は思わず黙ってしまう。
むうっ。
唇を尖らせるが、そんな仕種も可愛らしいとしか征士が見ていないとは気づいていない。
「返事は?」
付き合い良く風呂上りのビールを呷る征士から、アメジストの強い光がじっと向けられているのを感じる。
楽しそうな、でも怖いくらいに厳しいそれ。
真剣なゲームを挑むようなその視線から態と焦点をずらして、当麻は“むうっ”としたまま低く答えた。
「やだ」
「どうして?」
少し据わった目が頑なに自分から逸らされているのに内心苦笑して、征士は柔らかく、だが追及の手は緩めずに尋ねる。
「だが、嫌いじゃない。だろう?」
実は“なけなしの”なのだが、それはおくびにも出さず、自信と余裕を表すべくゆっくり言い切られた言葉に、当麻は一瞬目を見張って、すぐにふっと笑った。
征士の傲慢な程の言い様が可笑しかったのか、それとも、今更嫌いだなどと言って話を誤魔化せはしないと笑ったのか。
その双眸は伏せられていて、正面から見つめる征士にも流石に分からなかったが。
「・・・・好きだよ。でも、だめ」
やっと征士を見た瞳は笑った顔の中で淋しげに陰っていて、やはり頑なに征士を拒絶する。
その一貫した意固地さに少々凹まされながら、顔には出さず、征士は無言で『何故?』と理由を促す。
穏やかな表情の中で片方だけ上げられた眉や、訝しげに、気遣わしげに少し首を傾げた仕種に曳かれるように、当麻はとつとつと言葉を紡ぎ始めた。
「好きだって言ってくれる、征士の気持ちを疑ってる訳じゃないんだ。きっと今は本当に、そう思ってくれてるんだと思う」
一々引っ掛かる言い回しだと、征士は眉間に皺を刻みかけて、辛うじて踏み止まった。
「でもさ、極端な話、明日もそう思っててくれるかどうかなんて、分かんないじゃない。“ずっと好き”とか“いつまでも好き”とか“永遠に好き”とか、皆よく簡単に言うけど。何を根拠にそう言える?全然信用できないよ。っていうか、先のことなんか分かんないのがホントだろ?そんな矛盾の上で契約なんて、そんな勇気、俺にはもうない」
笑んだままさらさらっと喋りきって、『どう?わかった?』と無邪気にも見える目で訊きながら首を傾げる当麻に、征士はひたすら沈黙を返す。
まだ納得しない、と。
簡単には退く気のないことを感じたのだろう。
当麻はまた視線を伏せて、嘆息混じりに笑った。
寛げられたままの紙箱から新たに小骨の多いチキンを一つ取って、それに熱中するフリでポツリポツリ喋りだした。
「昔・・・まだ10歳んにもなんない頃から、好きだった人がいたんだ・・・」
『こんな話、聞く気ある?』と訊くようにチラッと上げられた双眸に、柔らかい表情で頷きが返る。
「それが何でだか、向こうも俺のこと好きだって言ってくれて・・・。俺、完全に舞い上がってたね」
自分を嘲笑うように口角を上げる当麻の白い───血管が透けて蒼白くも見える瞼を、征士はどこか痛いような気持ちで見守った。
「当時は俺まだシカゴにいて。・・・で、ある時、彼が仕事で日本に行くって言うから、ついて来た、と。それが・・・16ん時かな」
当麻は指についた油を神経質にペーパーナプキンで拭って、グラスの底を浚うようにビールを飲み干す。
『注いで』と催促するように差し出されたグラスに缶のビールを半ばまで注いで、残りを自分のグラスへ注ぎ足した征士は、当然上がる当麻の抗議を笑って聞き流した。
「向こうではどうしても周りに人が一杯いる環境だったから、日本に来て、初めて二人だけで生活したんだ。楽しかったよ。すごく。・・・そう思ってたのは俺の方だけかも知んないけどね」
テーブルに肘をついて両手でグラスを支えながら、少し酔いを孕んで潤んだ当麻の目は、何を見ているのかリビングをゆっくり彷徨う。
「伸に会って、モデルの仕事も少しずつやれるようになって。・・・浮かれてたところへ、いきなり来た。結局、二人で日本へ来てから3年くらいかな。もう俺とは一緒にいられないって──出て行かれちゃった。あの人がそういうこと考えてたって、全然分かってなくって、俺。結構ショックだった。出て行かれてから泣いても仕方ないのに、それ以外何していいか分かんない。伸にもしばらく迷惑かけてさ。あぁ、もう戻って来ないんだって、やっと分かった時に、手当たり次第いろんな物山ほど捨てたよ。彼が使ってた物とか、彼に貰った物とか。目に付いたの片っ端から」
もうその形で強張ってしまったような笑顔を向けて、そこだけ笑っていない目がじっと征士を見る。
「俺もアレで少しは学習したつもりだし。・・・もう、泣きたくないんだ」
「泣かせないさ」
意外とはっきり出された言葉が自分に対する返事なのだろうと、征士も悟って口を開いたのだが。
全く信用していない風にふっと息だけで笑われてしまった。
「その彼と、私が同じだと言うのか?」
「そうじゃない。そうじゃなくて・・・俺の問題」
言葉を探しながら、当麻の細い指先が冷めかけたチキンを弄る。
「今はさ、征士、“俺に会いに”来てくれるじゃない。会いたいから、来る。会いたくない時は来ない。単純で分かりやすいよな?でもさ、いざ一緒に住んじゃったらどうなる?お前、毎日帰って来るんだよ?俺に会いたくなくたって。───それが判んないんだよ。俺には。会いたいと思ってくれてんのか、仕方なく帰って来てるだけなのか」
「待て。誤解するなよ?そもそも、今は物理的な理由で会えない日もあるだけであって、会いたくなくて来ない日などないんだがな」
「“今は”ね。・・・章さんだって、最初はそう言ったよ」
少し飲ませ過ぎたかも知れないと、征士は思った。話が堂々巡りになっている。
「・・・当麻」
テーブル越しに手を伸ばして上げさせた顔にじっと視線を当てて、ゆっくりと言って聞かせた。
「私は、私だ」
昔も今も誰も彼もを一緒にしてくれるなと諭す澄んだ目に気圧されて、「わかってるよ。そんなこと・・・・」と当麻は子供の言い訳のように呟く。
「先のことが信じられないと言うなら、信じられるまで毎日教えてやろう」
“ずっと〜”も一日の積み重ねだ。日々告白されれば、お前も信じる気になるかも知れんだろう?
からかうような征士の笑みに対して、当麻は泣くのを我慢している子供のような表情を浮かべた。
「それにな。私はお前を独りにしたりはしない」
ふと真顔に戻って、征士は真剣な目で当麻のそれを拘束する。
「だから、絶対にお前より先に死ぬこともない。約束する」
至って真面目に断言されて、当麻はその大きい目を更に大きく見開いた。
“先のことは分からない”どころか、人の思惑でどうこう出来る訳もない寿命を約束するなど・・・。
これ以上の“から手形”があるだろうか?
考えて、込み上げて来るモノが堪えられず、当麻はくつくつと笑い出してしまった。
そう、全くばかばかしいほど見事な“から手形”───莫大な金額の、到底無事に振り出されるとは思えない支払い手形。
それを堂々と切って見せる、ほとんど詐欺師張りにイイ男は、笑い出した当麻を見てからやっと、安心したように笑った。


カシャーン・・・と、明らかに何かガラス製品の割れる派手な音が響いて、征士は慌てて腰を浮かした。
音源は、当麻のいるキッチンだ。
「どうした?」
急いで覗いた流しの中で、見覚えのあるブランデーグラスが見事に砕け散っている。
「・・・・割っちゃった・・・」
力なく呟いた当麻の顔を覗き込むと、彼は割れたグラスを見つめたまま、驚いたことに声もなく泣いていた。
それで征士も悟る。
過失ではないかも知れないと。
「怪我は?」
振られる首に「よかった・・・」とつい呟く。
きらきら輝くクリスタルの破片に伸びる手をやんわり押し止めて、触らせられるかと流しの前から遠ざけた。
「私が片付けよう。クリスタルガラスの破片は手を切りやすい。掃除機を持っておいで」
グラスの面影が残る、比較的大きな破片を大まかに取り除く。
グラスに刻まれていたトランプ(ハートのクイーン)柄も無残に分断されたそれ。
確か普段から使われることなく、食器棚の上の方にあったと記憶している。
「当麻?」
後ろで動かない気配を振り返って、フリーズしている当麻に苦笑する。
すべり落ちていく涙もそのままに、ただ、泣いていた。
静かに、静かに。
そういえば、“泣く”などというプライベートな場面に立ち合わせてもらったのも初めてだと気づいた。
薄情なようだが、こういう顔を見られたことを嬉しくも感じ。
だがもう少し、“普通に”泣かせてやりたいとも思う征士だった。
抱き寄せると、案外素直に、肩へ頭が乗せられて。
感じる湿った温もりが愛しいと思う。
「・・・・このグラス、ペアだったんだ・・・」
征士の肩に顔を伏せたまま、当麻のくぐもった声が言う。
「もう片方はスペードのキングがカッティングされてて・・・章さんが出てった後無くなってたから、たぶん持ってったんだと思う」
それ以上語られずとも、きっと二人にとって思い出の多いグラスだったろうと、征士にも容易に想像がつく。
宥めるように、慰めるように、征士は蒼い髪に頬を寄せた。
「俺・・・まだ彼のこと好きだよ?」
心細そうな、頼りない声だった。
「ああ」
「伸も好きだし・・・」
「わかっている」
「仕事好きだし、甘いもの好きだし」
言い募るような当麻の可愛さに、征士は笑って付け足してやる。
「女の子好きだし?」
「うん・・・」
困ったように言葉に詰まる当麻は、だがまだ笑わない。
「・・・・それでも?」
辛うじて聞き取れるくらいの小さな声で問う臆病な恋人に、征士は殊更はっきりと、音節を区切って聞かせた。
「ああ。それでも、だ」
一瞬、腕の中の細い体が強張って。
詰めていた息と一緒に漏れた泣き笑いが、征士の首筋をくすぐった。

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